習近平の「中国夢」は何を意味するのか

小原 その中国の行方ですが、習近平さんは中国の最高指導者となって「中国の夢」というスローガンを打ち出しましたね。前任の胡錦涛さんは「科学的発展観」、その前の江沢民さんは「3つの代表」を掲げました。しかし、「中国の夢」は、それらと比べても中身に乏しい。

「中国の夢」が提起される前に、トム・フリードマンが『ニューヨーク・タイムズ』紙に「チャイナ・ドリーム」について書いています。その中で興味深いのは、14億近い中国人が米国人の「a big house」や「a big car」を夢として追いかけたら、もう一つ地球が必要になると指摘していることです。そこで問われているのは、中国の目覚ましい経済成長が世界経済の牽引車になっているとしても、その成長の仕方に地球は耐えられるのか、との疑問です。

 中国は「世界最大の途上国」の地位を強調しますが、「世界第二の経済大国」でもあります。自国の利益だけではなく世界の利益を考えて行動してもらわなくてはいけないし、また、それは中国が持続的成長を目指すうえでも必要だということてす。その点は、中国の指導者や知識層に説いていく必要があります。幸い、私は上海復旦大学でも講義を持つ予定ですし、制約はありますが、ネット社会の利点も活かして発信していければと考えています。

「中国の夢」ですが、建国100周年に向けて、「中華民族の偉大なる復興」「国家の富強・民族の振興・国民の幸福」を実現することが夢であるとすれば、そこでは世界との関係において語られる夢が欠如しています。中国が過剰なナショナリズムや国益追求に突っ走れば、世界は不安定化し、地球は疲弊してしまいます。さまざまな形で世界に影響を与えるようになり、米国に「新型大国関係」を提唱するまでになった中国の指導層には、国際的な責任や役割を自覚しながら、国政や外交に向き合ってもらう必要があるのですが、その辺がどうももう一つ見えてきません。

「中国夢」に見え隠れする習近平のジレンマ加藤嘉一 (かとう・よしかず)
1984年生まれ。静岡県函南町出身。山梨学院大学附属高等学校卒業後、2003年、北京大学へ留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、2012年8月に渡米。ハーバード大学フェロー(2012~2014年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員(2014〜2015年)を務めたのち、現在は北京を拠点に研究・発信を続ける。米『ニューヨーク・タイムズ』中国語版コラムニスト。日本語での単著に、『中国民主化研究』『われ日本海の橋とならん』(以上、ダイヤモンド社)、『たった独りの外交録』(晶文社)、『脱・中国論』(日経BP社)などがある。

加藤 私も中国夢と習近平政治の関係を観察してきましたが、2012年11月の中国共産党第18回全国代表大会で総書記に就任すると、すぐに中国夢を語っていますね。以降、習さんは定期的に、はっきりと宣言してきました。中国夢とは「中華民族の偉大なる復興である」と。

 そこには、2021年年と2049年という「二つの百年」目標があります。前者に関しては、2010年と比べて2020年の国内総生産と国民平均所得の双方を倍増させ、小康社会(少しゆとりのある社会)を実現すると言っています。その目標を達成したうえで、2021年という共産党設立100周年を迎えるということでしょう。池田勇人元首相の所得倍増計画を参考にしていると思われますが、具体的な目標だといえます。また後者については、前者より曖昧ですが、文明・富強・民主・和諧から成る社会主義現代化国家を、中華人民共和国設立100周年に当たる2049年に達成すると言っています。この二つの百年目標の先、あるいはその過程にあるのが中国の夢であり、中華民族の偉大なる復興である。私はそのように解釈しました。

 また、おそらく中国の夢にまつわるものだと思いますが、国家主席になった時に彼はこうも言っています。「中国の夢を実現するためには、中国の道を歩まなければならない」。小原さんもご著書『チャイナ・ジレンマ』に書かれていましたが、拒絶とまでは言わないまでも、これは西側の政治体制に対する相当なまでの警戒心ではないでしょうか。

小原 天安門事件もあって、一時期、中国共産党は「和平演変」を相当警戒しましたよね。現在でも、共産党一党支配だけは何があっても守り抜くというのが中国共産党の揺るがぬ不文律です。ちなみに小康社会にしろ、社会主義現代化国家にしろ、そうした目標は習近平さんの「中国夢」以前からあったもので、彼が語る夢の中身として新しいものが出てきたわけではありません。やはり、「中華民族の復興」といったナショナリズムを鼓舞する政治的スローガンの色彩が濃い。

加藤 「復興」と言うからには、どこかの時代に戻るということを意味するのでしょう。習近平さんは、西側諸国を含めた他国の政治状況よりむしろ、中国歴代皇帝が歴史上どのように栄え、どのように没落していったかをレビューしながら政治をマネジメントしている印象が強いです。小原さんは、中華民族の偉大なる復興について、どのような印象をお持ちですか?

小原 「復興」と言うからには、何からの「復興」かという歴史に対する認識や感情が存在しています。それを一言で表現すれば、「近代の屈辱」です。「中華民族の偉大な復興」という言葉の背後には、アヘン戦争に象徴される、19世紀半ばから味わった屈辱の歴史があるのです。自分たちはその屈辱を拭い去り、その前の時代、すなわち世界の中心的文明として栄え、そして鄭和の艦隊が勇躍するような強国として聳え立つ、そんな燦然と輝く時代を中国共産党の下で切り開いていこうという中華的ナショナリズムが感じられます。

 長い歴史のほとんどにおいて、中国は偉大な文明国であり、世界に冠たる大国でもあったのに、なぜ近代において屈辱の歴史を味わったのか。それは力がなく、弱かったからだ。だから強くならなければならないという強国願望があり、それは「富強」という目標にも表れています。経済的に富み、軍事的に強くなることによって他国の侮りは受けないという思いは理解できないわけではありませんが、その思いが昂じると他国に不安や警戒心を呼び起こします

 いま、そうした「復興」は果たして国際社会にとって受け入れられるものなのかどうかという疑問が出てきているわけです。歴史的に中国のものだったとされるものは全部取り返すという話になると、国際秩序は壊れてしまいます。南シナ海の問題はその一つです。中国の「復興」によって、そうした矛盾や摩擦が噴き出てきているということではないでしょうか。

 中国は世界の平和と繁栄に貢献する偉大な国家を目指します、といくら口で言っても、現在のような「復興」の仕方ではあちこちで問題を引き起こしてしまいます。しかし、だからと言って、復興の足取りを弱めたり、遠慮したりするわけにもいかない。その辺が中国指導部にとって悩ましいところでしょう。なぜ悩ましいかというと、そこで起きる問題や衝突こそがナショナリズムをくすぐる部分だからです。そこでいい加減な態度を取ってしまうと国内的に持たないし、権力闘争で弱みを見せることになりますからね。外交部などはたちまちネットで「売国奴!」との集中砲火にさらされてしまいます。

 そうしたナショナリズムが中国共産党の正統性を支える一つの大きな要素であるとすれば、それをあまりに重視し、鼓舞してきた結果、そのうち自分で自分の首を絞めてしまいかねない、そんな危惧さえ感じてしまいます。