中国は西側の仕組みを借りてくるしかない

共産党の優位性を保ち続けながら、<br />中国は構造改革に踏み切れるのか加藤嘉一 (かとう・よしかず)
1984年生まれ。静岡県函南町出身。山梨学院大学附属高等学校卒業後、2003年、北京大学へ留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、2012年8月に渡米。ハーバード大学フェロー(2012~2014年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員(2014〜2015年)を務めたのち、現在は北京を拠点に研究・発信を続ける。米『ニューヨーク・タイムズ』中国語版コラムニスト。日本語での単著に、『中国民主化研究』『われ日本海の橋とならん』(以上、ダイヤモンド社)、『たった独りの外交録』(晶文社)、『脱・中国論』(日経BP社)などがある。

加藤 私もまったく同感です。鄧小平さんが実践した驚くほどのプラグマティズムなどの歴史を振り返ると、中国は、共産党の絶対的優位さえ揺るがなければ、あとは何でもやるつもりなのかな、と考えたりもします。

 共産党の絶対的な優位性を守るために“すべきでないこと”は、自由で公正な民主選挙だけなのか。私は、習近平さんの頭の中では“すべきでないこと”の領域が広がっていると感じています。拙書『中国民主化研究』では、公正な選挙、言論の自由、司法の独立の3つが制度的に保証されることが、民主化を構成するボトムラインであるという定義で議論を進めました。中国共産党にとっては、言論の自由も司法の独立も中国共産党の絶対的優位性を脅かすものになりうる、と映っているでしょう。たとえば、天安門事件に対する言論の自由は共産党の絶対的優位性を揺るがしかねないため、当局はそれを全力で押さえ込むと思います。

 2011年に呉邦国全人代委員長が言った「五不搞(ウープーカオ)」は重要でしょう。多党制はやらない、指導思想の多元化はしない、私有制はやらない。三権分立しない、連邦制もやらない、の5つですね。自由民主主義に対する否定を超えて、中国は中央集権国家として歩み続けるという一つの意思表示だったと思います。地理的にも政治体制的にも、中国共産党だけが唯一の指導党であり指導思想であると。習近平さんがいまやっていることは、それとほとんど差はないという感覚もあり、悲観的な気持ちにもなりますね。

『中国民主化研究』を執筆する中で、いろいろな人にインタビューしました。漠然とした質問ですが、「中国はいわゆる西側の民主主義に逃げてくるのか」と聞きました。たとえば、フランシス・フクヤマさんもの主張は一貫していました。彼は中国の「政治秩序の起源」に対して理解を示そうともしていますが、最終的に中国の体制が西側の制度に寄り添ってくる、そうしなければ中国はもたないだろう、と。中国国内でも「中国は民主化するしかない」という人もいれば、「習近平の頭にはそれはない」という人もいます。米国でも中国でも意見は分かれているのが現状だと整理しました。

 歴史的な転換期を迎えつつあるように見える中国ですが、「中国は民主化に向かうのか」という問題について、小原さんはどう思われますか?

小原 いま、巨大な中国は激動の嵐の真っ只中にいます。文化大革命が終わって、改革・開放が始まったばかりの中国を私が初めて訪れた時から30年以上が経ちますが、この間の変化は人類史上においても稀有なほどの劇的な変化です。

 そんな社会を統治する中国共産党にとって「安定はすべてを圧倒する(穏定压倒一切)」が最重要課題です。そして、その最大の脅威になってきているのが、社会の正義や公正の問題です。経済成長で物質的に豊かになった面はありますが、同時に拝金主義や利己主義が蔓延り、道徳は廃れ、機会の平等も失われ、貧富の格差は広がるばかりです。役人の腐敗は止まるところを知りません。そんな社会への怒りや絶望が渦巻き、緊張感が高まっています。それはキリスト教や儒教が広がる原因でもあり、最早放置できない状況です。

 では、どうすればいいか。鄧小平の経済改革は、西側の市場経済を借りてくることで大衆の物質的豊かさを実現してきました。その成功で中国共産党は生き延びてきました。物質的豊かさの後には、自由や民主といった精神的豊かさへの欲求が高まります。それに応えようとすれば、今度はどうしても政治改革が必要となります。

 問題はその中身です。中身をどうするのか、いまのところ習近平さんの言葉からは何も見えてきません。ただ、中国共産党がしぶとく生き延びていくためには、何らかの政治改革が早晩必要になるでしょうね。

 小原氏、加藤氏による対談最終回の更新は、3月17日(木)を予定。