関東大震災の復興事業の象徴的存在だった同潤会。その最後の集合住宅である上野下アパートが、ついに建て替わった。合意形成にかかった月日は、なんと40年。生まれ変わったマンションは今、コミュニティ再生を目指している。

あまりに好条件だから
混乱と対立が長引いた

建替え前の上野下アパート

 建替えによる再生を目指すマンションは、もともと好立地にあり、容積率に余裕があるなど、好条件に恵まれているものが多い。ところが上野下アパートは、皮肉なことにあまりに条件が良すぎたために、合意形成が長引いてしまった。

 場所は東京メトロ銀座線「稲荷町」駅徒歩1分。JR「上野」駅まで歩いても8分。容積率は600%の地域だが、200%しか使っていなかった。

「最初は賃貸で、東京都から払い下げになったのが戦後の混乱期ですから、分譲後何年も登記されていませんでした。その後、建物は入居者名義、土地は自治組織の理事長名義で、土地持分は76戸(店舗4、集会室1を含む)の均等に登記されました。この点が、後の混乱と対立の火種になりました」

 そう語るのは上野下アパート建替組合理事長の森瀬光毅氏。

 幼稚園から大学までこの地で育ち、就職して別所帯を構えていた森瀬氏だったが、その後も上野下アパートに住み続けた老親の相談に乗り続け、建替えの争議に巻き込まれていく形となった。

「地上げ屋が暗躍しましてね。4階の単身者向けワンルームを投資用に買った人と一緒になって、戸別訪問して玄関先に居座ったり、総会を勝手に開いて話を進めたり。一方、大きい2Kの部屋の住民は、区分所有法に基づく均等割りの見直しを求めて、住民同士の対立が深まっていきました」(森瀬氏)

 登記が区分所有法制定以前だったことが、混乱に輪をかけたのだ。その後、等価交換方式や共同建替え方式など、幾つものプランが浮上しては、頓挫。

 長引く混乱にようやく収束の兆しが見えてきたのが2009年のこと。「一から出直そう」という森瀬氏の呼びかけに答え、初めて管理組合が発足。そこから修繕か建替えかを決めるべく、コンサルタントの選任へと駒が進んだ。