ブラジャー。この華やかな商品に一生を捧げた男がいた。戦後京都を代表するベンチャー企業「ワコール」を創業した塚本幸一である。インパール作戦の生き残りという壮絶な戦争体験を持つ彼は、いかにして女性用下着に出会い、その未開市場を開拓していったのか。ベンチャースピリット溢れる豪快華麗な生涯を描きだす大型評伝、いよいよ連載開始!

地獄の戦場の生き残り

 その男は、垢じみた軍服に身を包み、復員船の甲板から夕陽にきらめく南洋の海を眺めていた。

 そこに浮かんでいたのは安堵の表情ではない。何か大きなものを根こそぎ削ぎとられ、その臓腑の一部なのか精神なのかわからないものを失ったまま、果たしてこの先、生きていけるのか自問自答していたのだ。

 彼は太平洋戦争の数ある作戦の中でも無謀な戦いとして知られるインパール作戦の生き残りだった。

 蒋介石を支援する英国軍を中心とする連合国軍の物資補給ルートを分断するべく、インド北東部のマニプル州の州都インパールを攻略しようとしたが、武器も食糧も満足に供給されず、敵の最新火器の前に屍の山を築いた。

 彼が苦い思いで反芻していたのは、忘れようとしても忘れられない、ある光景である。

 敵襲と飢えに苦しみながら、ビルマのジャングルの奥深く、中立国であるタイ国境を目指し決死の逃避行を試みていた時、行く手をさえぎる150メートルほどの湿地帯にでくわした。

 疲弊しきっていた彼らはがっくり肩を落としたが、目を凝らしてみると、その先に何やらぼーっと黒いものが見えている。

「おい、見ろ! あれは橋じゃないか?」

「助かったな!」

 英国軍は橋らしい橋をすべて破壊していた。心折れそうになっていただけに、橋があるのはありがたかった。

 しかし次の瞬間、彼らはうめき声をあげた。

「な、なんだ……これは……」

 橋だと思ったものは、無数に折り重なった戦友たちの死体だったのだ。

 のどの渇きをいやそうと死体をかき分けるようにしながら水辺にたどり着いたものの、ぬかるみに足を取られて抜け出す体力が残っておらず力尽きたらしい。まともな着衣の兵などなく、栄養失調でみなガリガリにやせていた。

 だが、そこで立ちすくんでいるわけにはいかない。すぐ後ろに追手が迫っているのだ。

 (許してくれ……)

 彼らは念仏を唱え、心の中で手を合わせながら、死んでいった戦友たちの背中を踏んでいった。

 まさに生き地獄そのもの。部隊55名のうち、生き残ったのはわずか3名だった。

 (なぜ自分は生き残ったのだろう)

 彼はその意味を考え続けていた。

 出航してから三日目、いつものように甲板から波頭を照らす日の光をぼんやり眺めていた時、ふとある考えが頭をよぎった。

 (自分は生きているのではなく、生かされているのではないのか……)

 死んでいった52人の戦友の分までしっかりと生きていく使命を与えられたのだと悟った時、煩悶し続けてきた胸の内が少し軽くなった気がした。