とっさのひと言で開花した
S子の絵画センス

 産院までつき添った近所の仲よしで、毎日どちらかの家で何時間かすごすほど、末っ子のS子は私の大事な秘蔵っ子です。

 ある日、外にも泣き声が聞こえていました。
 くやしさと怒りが感じられ、日ごろあまり泣かないのにと不審に思いました。

 私が訪れたときは、ようやく泣きやんだところでしたが、不満がいっぱいの顔をしていました。食卓の上には、大きな画用紙が置いてあり、絵が描かれていました。

 私は絵を見るなり、

わあー、アニーとハロルドとボニーを描いたのね、ホントによく描けてる

 と言いました。

 すると、S子の顔はどう表現していいかわからないほど、うれしそうに輝いたのです。

「久保田さん、何でわかるの?犬に見えないので、お兄ちゃんたちとみんなで大笑いしたら、S子が泣きだして、今やっと泣きやんだのよ」

 とお母さんが言いました。そこで私は、

「あなたたち、うちの犬、よく知っているでしょ。この絵でうちの犬を想像できないなんて、あなたたち、絵が下手でも仕方がないわ」

 と言い返しました。

 大きな画用紙に大中小の楕円形が描かれ、それぞれに茶色と白色、黒色と白色、黒色と茶色に白色がぬられていたのです。

 私の家では、犬を3匹飼っていて、大きいのがビーグル、次はキャバリアのメス、一番小さいのがその息子です。
 S子の描いた絵は、大きさの比も、色の配置も、わが家の3匹の犬の「どでーっ」と寝ている姿そのものでした。

 それよりさらにすごいのは、顔を描いていないことでした。
 前のほうを描くのは難しく、イメージどおりに描けないので、後ろ側を描いたわけです。
 もしもこのとき私がいなかったら、S子は絵を描く興味を失ってしまったでしょう。

 当時S子は3歳児でしたが、セミババの私にわかってもらえただけではなく、大笑いしたお兄ちゃんたちをやっつけてくれた爽快感で、絵を描くことの楽しさを知ったのです。

 S子の色彩感覚は、私をときどきうならせてくれました。
 彼女も今ではすっかり成長しました。
 絵描きにはなりませんでしたが、観察力も鋭く、手間のかからない、やる気のある素敵な娘に育ちました。