それは、あなたが現金以外の価値判断プロセスを放棄しているからだ。10億円を選んだ人は「10億円あれば何が買えるだろうか」と舞い上がってしまったはずだ。そこにはほかの選択肢の価値と比較する余裕などない。

品の悪い例えだが、新幹線用地の買収交渉で土地売却に頑固に反対している人も、現金1億円を目の前に積まれると容易に売却に応じる。その土地に3億円の価値があるにもかかわらずだ。いつもは理性的に意思決定している人も、現金が絡むと途端に雲行きが怪しくなり、ほとんどの人が同じように誤る。

これは「お金を価値判断の尺度にしてはいけない」ということではない。むしろ、ファイナンスはすべての価値をお金に置き換える、非常に「現金な」学問である。

実際、ほとんどの金融商品・ギャンブル・詐欺は、「現金(キャッシュ)が持つ魔力」をうまく利用し、成り立っている。ファイナンス理論はそのまやかしを見破り、本当の価値を見極めるためのシステムなのだ。

しかも驚くべきことに、ファイナンスの価値体系においては、なんと現金は「最も価値の低い資産」の1つに位置づけられている。

ただ、「カネほど無価値なものはない」というファイナンスの主張は、テレビCMで聞いたような「お金で買えない価値がある」という一般論とは根本的に異なる。そうした道徳的・倫理的な話は抜きにして、この学問は文字どおり、現金に価値を認めないのである。
「では、何に価値を見出すのか?」が気になるところだが、それは今後の連載に譲るとしよう。

人間は最期の最期まで人生選択のアマチュアである。しかし、お金についてであれば、正しい意思決定のための尺度を身につけることができる。
そのために必要なことはすべて、ファイナンス理論が教えてくれる。「カネほど無価値なものはない」――ファイナンスはその事実を知っているし、世界中の偉大な投資家たちにとっても、これほど自明なことはない。

お金の本当の価値(の低さ)に気づき、現金原理主義という人生最大の呪縛から自由になれるという意味では、ファイナンスほど実践的な学問は存在しないのだ。

大して実務で使うわけでもないのに、マクロ経済学や経営理論、会計や統計学をコツコツ勉強している人がいる。しかし、仕事や人生への貢献度という観点からすれば、ファイナンスを学んだほうがよっぽどいい。

明日からは、いよいよその内実に迫っていく。お楽しみに!