私は『省煩』という言葉が好きだ。

「セイハン」と読むのだろうが、どういうわけか『広辞苑』などには載っていない。

 この言葉を知ったのは、もう30年近く前のこと。故・小川平二元文部相邸の玄関に飾られていた扁額に書いてあった。

 意味はそのまま煩わしさ(わずらわしさ)を省く(はぶく)ということだろう。

 和風の玄関を入ったところに、こんな扁額が掛けてあると誰でもぎょっとする。つい、自分が訪ねたことも煩わしいのではないかと思ってしまうからだ。

最近の政治家は
不必要なことに奔走してはいないか

 彼は有数の良質な保守政治家で、私が尊敬していた政治家の1人だったが、引退前にこんな話をしてくれた。

「米価の大会で“要求貫徹”というハチマキをして壇上に座っているのが耐えられなかった」

 納得した要求なら、その実現のために奔走することはいとわない。しかし、何もハチマキをして大声をたてる必要はないじゃないかというのである。

 『省煩』とは実にこの人にふさわしい。それも客に向けて飾ってあったところが面白かった。

 この言葉は、「必要なことは必ずするが、不必要なことは決してしない」という意味だろう。

 最近の政治家は、私も含めて、「必要なことをせずに、不必要なことや余計なことをしている」人が多い。不必要なことや余計なことをしていると、それがいざ必要なことをするときの大きな障害になる場合も少なくない。

 政治家にとってまず必要なことは、重要な現場に足を運ぶこと。そして、断固として時間を割いて、書を読み、深く考えることだ。

 昔の指導的政治家は、例外なく省煩を貫き、万巻の書に囲まれ、独り静かに考える時間を大切にしていた。