破綻する組織は「言葉」を奪い始める

 巨大組織が破綻する兆候の一つは、「言葉」を奪い始めることです。日本軍は戦局が悪化を始めたとき、撤退すべき場面であえてその言葉を使わず「転進」と言い換えて使い、権力の及ぶ範囲でそれを徹底させました。作戦が失敗しているのに、それを認めない態度を表わしているかのようです。

失敗の本質』でも、次の言葉が紹介されています。

「日本軍の最大の特徴は『言葉を奪ったことである』」(山本七平著『下級将校の見た帝国陸軍』より)

 都合の悪い言葉、真実に集団が気づいてしまう可能性のある言葉を、権力によって組織内から奪い始めていく。これが始まると、組織は巨大な破綻が待っている道へ、すでに一歩を踏み出しているのです。

 今回、不正が発覚して大問題となった2社の中では、「不正会計」「過大計上」「燃費偽装」「法令違反」などの言葉が、奪われていたのではないでしょうか。集団内で特定の言葉が奪われることは、短期的には問題(真実)への目隠しの効果を発揮し、最終的には組織の巨大な破綻と敗北を引き寄せます。

 なぜ、組織や集団の中で「言葉を奪うこと」が大きな破滅への道になるのでしょうか。それは、言葉を奪うことが真実(現実)との接点を失わせて、本来なら対策が取られるべきときに、それを実行させない負の影響を発揮してしまうからです。

 日本軍は、太平洋の大決戦であるミッドウェー海戦(1942年6月)で主力空母4隻を失う大敗北を喫したにもかかわらず、日本国民向けには「勝利した」と報道させました。この敗北から日本軍は真実を伝えなくなり、言葉を奪うことで組織全体が真実との接点を失い始めました。現実から目をそらす「言葉を奪うこと」は、自動車を運転しながら目隠しをして、壁に向かって走るようなものです。最後は、言葉を奪ってきた日本軍自体の巨大な破綻を迎えることになったのです。

「空気」とは、それを検討しないという
暗黙の了解をつくること

「空気」とは日本でよく使われる言葉ですが、筆者は「空気」を、それをあえて検討しないという暗黙の了解をつくることだと捉えています。言い方を変えれば、あることを一つの視点だけで解釈するように固定させ、他の視点から検討させないことです。

 日本海軍が建造した史上最大の戦艦「大和」は、強力な46センチ主砲を備え、その射程は4万2000メートルという桁外れの最新鋭戦艦(当時)でした。しかし、戦争後期の沖縄戦で、護衛の戦闘機ゼロの状態で出撃を決定し、米軍戦闘機300機以上の波状攻撃により、沖縄に辿り着くことなく撃沈されました。

 作戦会議では、大和特攻を進める三上参謀と、無謀として海軍の伊藤長官が対立します。軍人の常識から、戦艦が戦闘機の護衛なしで勝てる見込みはゼロだったからです。ところが、次の三上参謀の言葉で「空気」ができてしまいます。

(三上参謀)「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」
(伊藤長官)「それならば何をかいわんや。よく了解した」

 三上参謀は、海軍の最新鋭戦艦である「大和」が突撃することで、沖縄戦に対する敢闘精神を示威することの正しさを主張したのでしょうが、この小さな正論が、軍事的常識から考えて、作戦は絶対に成功しないという別の視点からの検討をさせない効果を発揮しました。

「空気」が厄介なのは、その主張に小さな正論が混入されていることです。「大和」の特攻は、軍事作戦としてはあり得なくとも、沖縄で苦戦をしている陸軍への精神的援護、支援の敢闘精神の発露という意味では、正論と言える部分が含まれています。

 当然ながら、それで軍事的には100%失敗するという別の視点での判断を無視していいわけではありません。しかし、組織内で空気を醸成することで「別の視点から問題を判断する」機会を奪えば、もはや破綻だけが待ち構えていることになります。

【誤りを誘発する「空気」の小さな正論】
・企業は良い決算数字を出すべく努力すべき
・燃費が良いほうが自動車は売れる

 過去、食品衛生問題では「もったいない」「また食べることができる」からと、別の客に出した食材を使いまわしていた前代未聞の事件がありました。これも食品衛生法や飲食店の倫理という別の視点で判断すれば、絶対にあってはいけない行為です。ところが、組織内で権力を持つ人たちが、ごく小さな正論を振りかざして、他の視点でこの問題を議論させない「空気」をつくると、組織全体が大きな過ちを犯してしまうのです。

 食材を使いまわした老舗料亭は、結果として廃業に追い込まれています。問題を正しい視点から判断させない「空気」を醸成することは、結果としてそれを誘導した組織自体を破綻に追い込むことになったのです。

人的ネットワーク偏重の組織が、
間違いを正すことを妨げる

 人的なネットワークが過度に重視された組織では、判断が合理性ではなく、属人的な要素で決まる割合がより高くなります。あの人が言っているから、という理由で決裁が下ってしまうのです。

「日本軍が戦前において高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織であったことを示している」(『失敗の本質』より)

 属人的な決定に、組織内での権威や権力が加わるとどのようなことが起きるのか。誤った決断を覆すことが、愚かしいほど難しい状態を生み出してしまうのです。

「権威のまわりには、それをまもろうとする人垣ができる。だから、まやかしだとわかっているような、人相見の虚偽をあばこうとすると、でも私の場合にはぴたりと当たりましたよという人が出て来て彼をまもろうとする」

「権威をぐらつかせることは、実は、そのまわりにある人垣と、たたかうことになるのですね」(いずれも、なだいなだ著『権威と権力』より)

 ビルマとインドの国境で実施されたインパール作戦で、日本軍は食糧や武器弾薬の補給の目途がつかないにもかかわらず、大軍を導入して敵を攻撃するという驚くべき作戦が実施されました。結果は、大量の餓死者を生み出し白骨街道と呼ばれる退路をつくる悲劇となります。この無謀極まりない作戦は、牟田口中将という権力と、それを支持する陸軍内の人脈(人垣)により決裁されましたが、軍内で正しい視点から作戦に大反対した参謀たちも、最後は「何を言ってもムダだ」という組織の状態に流されてしまったのです。