「健康」とは無理をしない状態

20代は自分の存在が地球より重い宇尾野彰大
社会人8年目。リクルートにて営業、人事、新規事業開発、事業企画などの部署を経て退職。今春よりITベンチャーのトライフォートにてサービス開発部門の責任者として勤務。
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宇尾野 楠木さんは少し前の話(前編参照)で、健康って言葉を使ってらっしゃったんですけれど。「健康」をどう定義されてるんですか?

楠木 人間として無理がないっていうことですね。無理がないとか、それからね、同じことですけど、持続するということ。僕はやっぱり、長続きしないことというのは本質的に不健康だと思っています。

 もう一つ健康っていうのは、誰かがすごく損をして、誰かの犠牲のもとに、何かが成り立っていることがない状態ですね。まあまあ、みんながそれでいい状態になっている。あまり意識しなかったですけど、宇尾野さんにおっしゃっていただいてわかったのは、自分は健康的だなっていうのを結構、重視していますね。

宇尾野 健康っていうのには、自分っていうものだけじゃなくて、周りとの関係性も含まれているんですね。

楠木 ええ、無理がないっていう感じですね。

高橋 先生の本の「川の流れのように」っていうコラムの中に、「いい感じで流れる人」という話があったと思うんですけど。

 この方はいろいろな職業を経験してきて、流れ着いた今の仕事を、すごく合っていると思っていると。今は分からなくても、「合っている」という感覚に出会うときが来ると思っておくことが大事だと書いてあって。
希望を感じる話だな、と思いました。

 健康もそうだと思うんですけど、無理してる状態って、たぶん、無理している時は、無理してることに気づかないことがあって。

楠木 そうでしょうね。

高橋 でも、無理しない状態になった時に初めて、「あっ、あの時無理していたんだ」ってわかると思うんですよね。

楠木 なんで無理してる状態から、無理しない状態に行くかっていうと、無理してる状態がもたないんですよね、結局は。キャリアっていうのは、最初に言ったことに戻りますが、すごく時間的に足が長い問題だっていうことなんです。持続が大前提なんですよね。

 無理っていうのは、その人の定義で言う無理なんですけどね。ある人が、「おまえ無茶してるな」って言っても、本人にとっては全然何ともないこともある。それは人がどうこう言えることじゃないと思うんですけどね。