「幸せ食堂」繁盛記
【第二十八回】 2016年5月24日 野地秩嘉

キンミヤ焼酎にこだわる
学芸大学駅そばの酒飯処は、
夫婦の絶妙なコンビネーションで、
実に多彩な料理を提供

毎日食べても飽きない料理

 居酒屋「さいとう屋」は東横線学芸大学の至近にある。改札口を出て45メートル。雨の日でも傘をささずに店まで行くことができる。 

 席数はカウンターとテーブルを合わせて16。夕方から夜までの営業だけれど、つねに満席の状態だ。開店と同時に行けば一度で座ることができるけれど、タイミングが合わない客は何度も店をのぞかないといけない。これまでの最高記録は8回。その人は9度目の来店でやっと席を確保することができた。

 店を切り盛りしているのは齋藤功と陽子夫妻。店では夫は妻を「かあちゃん」と呼び、妻は「イサオ」と応える。うちに帰ってふたりになると、おそらく「愛してるよ、陽ちゃん」「ダーリン、私も。うっふん?」と言いながらハグしているに違いない。ふたりはそれくらい仲がいい。家族経営の店で、家族が親密なのは、見ていて気持ちがいい。ところが、お互いを嫌悪している夫婦がやっていたりすると、最悪だ。そんな空間で食事をするのは地獄にいるのと一緒。

 さて、8年前に店を始めるまで、ふたりとも飲食業とは縁がなかった。かあちゃんはイタリアンレストランでバイトした経験があっただけ。イサオは20年以上、あの佐川急便でドライバーをやっていた。マツコ・デラックスが大好きな佐川男子だったのである。

 ふたりが店を始めたのは「子どもが大きくなったから、好きなことをやって暮らしていこう」と決めたからである。

 開店した当初は、ぽつりぽつりとしか入ってこなかったけれど、3年ほど前からは毎日、満席になった。

「とてもありがたいです」

 そう言って、ふたりは同時に頭を下げた。

 役割分担は決まっている。かあちゃんが料理を作り、イサオは酒をサービスする。ふたりともものすごく手が早い。

 店のメニューは40種類以上あるけれど、どれもせいぜい3分以内でテーブルに現れる。

 かあちゃんは言う。

「時間がかかるのはカルボナーラ、バジルトマトなどのパスタ類です。乾麺を茹でて作るので、どうしても時間がかかってしまう。それ以外はなるべく仕込みをしておくんです。いわしのフライなどは身を開いてパン粉をつけておく。注文があったら、あとは揚げるだけの状態にしておくんです」

 イサオもまた動作にムダがない。酒を頼んだら、アッという間に出てくる。感心してしまう。

 同店はキンミヤ焼酎の割りモノを飲む客がほとんどだ。

「生レモンサワーに、ウーロンハイとトマト割りください」

 こんな注文ばかりだ。イサオは階段を駆け上がって3階に置いてある新品ボトルを持ってくる。ポンと栓を抜いて、グラスに焼酎と割りモノを入れる。できあがったら、すぐに客に出す。同時に、かあちゃんが作った玉子焼きを各テーブルにサービスする。

「どうして、そんなにてきぱきと仕事ができるのですか?」

 不思議に思って聞いてみたら、イサオは不敵な笑みを浮かべた。

「はは、だって、オレ、佐川急便で20年働いてたんだよ。走って荷物運ぶのなんか当たり前だろ。あのね、佐川に比べればどんな仕事だって楽なの」

 おっしゃる通りだと思います。 

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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