1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から18年、2000年に新生銀行として再出発してから16年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(取材・文/ 経済ジャーナリスト 宮内 健)

金融からビジネス教育の世界へ
1万3000人の前に立つ講師に

 経営大学院や企業向け人材育成プログラムなどのビジネス教育に加え、書籍出版やベンチャーキャピタルの運営まで幅広く事業を展開しているグロービス。東京校舎とオフィスは千代田区二番町という、都心のど真ん中の瀟洒なオフィスビルに構えている。

 だが1999年、長銀の子会社に出向していた鎌田英治さんがヘッドハンターの勧めでグロービスを訪れたときはまだ創業7年目で、オフィスは入口がやっと人がすれ違えるくらい間口の狭いビルにあった。社員数も当時は50名ほどの規模だった。

長銀から社会人教育の世界へ<br />転機は破綻の責任への「自覚」<br />【長銀OBのいま(10)】グロービスのチーフ・リーダーシップ・オフィサー(CLO)兼コーポレート・エデュケーション部門マネージングディレクターである鎌田英治さん

「あれはしとしと雨が降る夜でした。わさっと傘が散らかっている入口からミーティングルームに案内されるといくつかテーブルが無造作に置かれていて、パーティションの仕切り越しでは別の打ち合わせをやっていました。隣の打ち合わせの元気な声が聞こえてくる中、立派な応接室で対応する銀行とはだいぶ違う世界なんだなと、新鮮な驚きを感じました。自分の転機ともなったあの日の光景は、今も鮮明な画像として僕の記憶に残ってます」

 鎌田さんは懐かしそうに当時を振り返る。

 やがて創業メンバーの1人が「どうも、どうも」と言いながら、ペットボトルごと持ってきたウーロン茶を紙コップに注いで勧めながら、グロービスの志やビジョン、事業コンセプトやカルチャーを熱く語り始めた。「これからの日本をどうするか?」といった大きなテーマにまで話は及び、気がつくとあっという間に3時間も経っていた。面接というよりお互いに議論を交わすディスカッションの趣であった、という。

 鎌田さんは長銀を離れ、グロービスで新しいキャリアを歩むことに決めた。

 だが金融とビジネス教育、大企業とベンチャーではかなり世界が遠いように思えるが――。

「経営に関する『ヒト』・『カネ』・『チエ』の生態系を創り、社会の創造と変革を行うというグロービスのビジョンは、私が長銀に入行したときのメンタリティと同じなんです。つまり、銀行の仕事は「お金」というリソースの側面から、グロービスは「人の能力」という側面から、ともに社会に対してサポートするインフラをつくりたいという志は同根だなとピンときて、とても響くものがありました」

 グロービスに入社した鎌田さんは法人部門責任者や人事責任者としてその成長に貢献し、現在はマネジメントメンバーとして経営の一翼を担っている。並行してグロービス経営大学院と企業向け研修でリーダーシップの講義を受け持ち、これまでに約1万3000人のビジネスパーソンとセッションで向き合ってきた。