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日本人が知らない本当の世界経済の授業
【第8回】 2016年6月2日
著者・コラム紹介バックナンバー
松村嘉浩

日本人のための「砂漠の宗教」入門:キリスト教とイスラム教の因縁の始まり

各方面から絶賛されたストーリー仕立ての異色の経済書に、1冊分の続編が新たに加えられた『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』が発売され、大きな話題を呼んでいます。

その一部を紹介し好評を博している本連載も、いよいよ「続編」部分に。世界を動かす大きな要因であるにもかかわらず、日本人にはなかなか理解しづらい、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教の歴史とその本質的な違いを解説します。
(太字は書籍でオリジナルの解説が加えられたキーワードですが、本記事では割愛しております。書籍版にてお楽しみください)
 


 

日本人のための「砂漠の宗教」入門

 「話を戻しますと、キリストが説いたのは“汝の敵を愛せ”という世界ですから、キリスト教というのはずいぶんキリストが説いたこととは違う方向にいっちゃったわけです。とりあえず、ユダヤ・キリスト・イスラムの3つの宗教の基本を整理しておきましょう。この3つの宗教は仲が良くないのでまるで違う宗教のように思うかもしれません。でも、実際は同じ神様を信じているのです」

 「え~、じゃあ、ユダヤの神様とイスラム教の神様は同じってことなんですか???」

 「そうです。ユダヤの神様、ヤハウェとイスラムの神様 アッラーは同一です。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、旧約聖書を経典としていて、同じ神様を信じているのです。というか、順番から言えば、ユダヤ教からキリスト教が生まれて、キリスト教からイスラム教が生まれてきているので、同じ神様なのはある意味当然です」

 「それなのに、ずいぶん仲が悪いんですね」

 「順番に、それぞれの宗教を説明しましょう。

 まず、ユダヤ教ですが、ユダヤ教というのはキリスト教やイスラム教と違って、ユダヤ民族のためだけの宗教であることが特徴です。ローカルなユダヤ民族のユダヤ民族によるユダヤ民族のための宗教というわけです。このような宗教を民族宗教と呼びます。

 さて、ユダヤ民族が暮らしていたのは、豊かなエジプトと豊かなメソポタミアの間の、とても貧しい砂漠の地域でした。ユダヤ民族は過酷な風土の中で困窮の生活を送り、他民族に征服され支配を受けるようなつらい境遇に耐えなければなりませんでした。

 ユダヤ教は、ユダヤ民族がどうしてこんなにひどい目にあうことになったのかを説明します。同時に、ユダヤ民族に将来の希望を与えていた宗教なのです」

 「砂漠でひどい生活を強いられていた人たちの心の支えというわけですね」

 「そうです。ひどい目にあっているのは、自分たちの祖先が“神に背いて”悲惨なこの地上に追放されてきたからだとユダヤ教は説明するのです。“アダムとイブ”の話は知っているでしょう?」

 「え~と、食べちゃいけないものを食べちゃって、神様に怒られちゃうみたいな話ですよね」

 「ええ。人類の祖“アダムとイブ”が神の命令に背いててエデンの園にある禁断の木の実を食べてしまい、地上に追放されたという話です。これが“原罪”というわけです」

 「じゃあ、地球は流刑地みたいなものってことですか?」

 「そうですね。この地上は“追放の地、窮乏の地”と考えられて、だから悲惨なのが当たり前だとユダヤ民族は納得しようとしたわけです」

 「でも、それだけじゃ、しんどくてやってられないですよね」

 「ええ、ですから未来への希望もあるわけです。それが、ユダヤ民族の祖とされる“アブラハム”に与えられた神との“契約”です。神への絶対的な服従を誓えば、“乳流れ、蜜流れる地”つまり肥沃な土地である“カナンの地”(現在のパレスチナ地方)をユダヤ民族に授けてくれるという約束です。

 ユダヤ人を“救済”してくれるユダヤ教の神様“ヤハウェ”は、絶対に約束を果たしてくれるわけですから、“万能”でこの世の支配者でなければなりません。いわば“絶対神”なのです。そうなると当然、地球も宇宙も“絶対神”のヤハウェによって創造されたとなるわけです」

 「もし、人間が約束を破ったらどうなっちゃうんですか?」

 「それは大変なことです。希望は“剥奪”されますし、厳罰が人間に下ります。神はカンタンに人の命も奪います」

 「ひえ~、ユダヤの神様、コワいです……」

 「というわけで、“神の言いつけ、つまり戒律を守る”ということが絶対の教えとされ、ユダヤ教は厳しい“戒律主義”となったのです」

 「なんだか、私の知ってる神様とずいぶんイメージが違います。神様って、人間を助けてくれる白髪のおじいさんみたいなやさしいイメージなんですけど」

 「そもそも、“白髪のおじいさん”というところから違いますね。ユダヤ教の“絶対神”は、人間の世界の時空を超越した存在なので“姿や形”はないのです」

 「姿や形がないんですか?」

 「ええ、“絶対神”のヤハウェは、地球も宇宙も創り出した存在なので、いわば、宇宙のシステムそのものみたいな感じなのですよ」

 「なんかイメージしづらいんですけど……」

 「つまり抽象的な存在です。神様というと、私たちは仏像のように擬人化したイメージを持ちますが、あくまでも“抽象的”な存在なので、我々、日本人のように仏像を作って祀るような偶像崇拝は固く禁じられているのです」

 「それにしても、ちょっとでも約束を破ったら厳罰なんて、コワい神様ですね……」

 「そうですね。環境の厳しい砂漠で生まれた宗教であることが、影響していると考えられます。砂漠はちょっと油断したら人の命を奪うじゃないですか。自然環境が厳しいので、神は“与えるもの”というよりも“ルールを守らないと奪うもの”となるわけです。ユダヤ教のような一神教を“砂漠の宗教”といいます。

 これに対して、古い昔の文明があった、自然環境が豊かな地域の宗教は多神教です。そこでは神は人に恵みを与えるものであり、豊かな自然そのものが神なのです。山の神もいれば水の神もいるという具合で多神教が生まれてくるのです。そして、人もまた自然の一部であり、この自然の中で生かされている、神の恵みに生かされているという考え方になるわけです。これをたとえて“森の宗教”といいます」

 「なるほどです。じゃあ、昔は多神教の森の宗教が普通だったんですか?」

 「そうですよ。現在はユダヤ教から生まれたキリスト教とイスラム教の信者数が世界のおよそ半数を占めているので、砂漠の宗教の一神教が世界のメジャーですが、古い昔の時代は今とは逆で、森の宗教の多神教がメジャーだったのです。

 さきほども言ったように、ユダヤ教というのは、砂漠を住処とせざるを得なかった貧しくて悲惨なユダヤ民族のためだけのものです。“砂漠の宗教”はもともとマイナーで異端な存在だったわけです」

 「たしかに。そもそもはユダヤ民族のためだけの特殊な神様ですもんね」

 「でも、ユダヤ民族にとってはヤハウェが宇宙を作った唯一の絶対的な神様ですから、決して特殊ではありません。むしろ山の神や水の神のような他の神様のほうが変なわけです。しかも絶対神ヤハウェと契約しちゃっているので、他の神様は絶対に認められないというわけです」

 「契約を破ったら大変なことになるんですもんね」

 「ええ。契約を破れないので、一神教の民族は他の神様を信じる民族とは仲良くできない傾向があります。どうしても排他的にならざるを得ないのです。

 というわけで、ユダヤ民族は他の民族に征服されても、その宗教を諦めることはありませんでした。今はどれだけしんどくても戒律を守っていれば、いつかは必ず、ヤハウェ神がユダヤ民族を約束の地に連れて行ってくれると契約しているからです。

 これに対して“森の宗教”は他の宗教に寛容で、ほとんど対立しませんでした。例えば、自然と人間が調和して生きていたギリシアとエジプトの神々は対立していません。ローマも、ギリシアなどの征服した地域の神々を自分のところの神々と融合させていきました。その結果、日本の八百万(やおよろず)の神には及びませんが、ローマの神様は30万に及びました」

 「やっぱり、自然が豊かだとあんまりギスギスしないってことなんですね。逆に、砂漠は大変で、そういう絶対神でも信じてないとやってられないっていうか。ところで、ユダヤの神様って契約したユダヤ人はいつか必ず救うということですけど、他の人たちはどうなるんですか?」

 「すべては契約ベースですから、契約した人しか救いませんよ」

 「え~、宇宙を創った絶対神なのに、ヤハウェさんってめちゃくちゃ心狭くないですか?」

 「う~ん、そういわれても……そういう教義なので……。ちなみに、そういう絶対神ヤハウェとちっぽけな人間との契約が旧約聖書なんですよ」

 「旧約聖書って契約書なんですか?」

 「旧約の“約”は、契約の“約”なんですよ」

 「なんだか、日本人が知っている神様とずいぶん違いますね。神様という以上、人間みんなを相手してくれてもよさそうなものなのに」

 「最初に言ったように、もともとユダヤ人のための宗教で神様ですから、契約者限定なんですよ。逆に、絶対神がユダヤ人を選んだという選民的な考えも出てくるのです。

 ちなみに、ユダヤ人の定義はユダヤ教に入信することなので、日本人でもだれでもユダヤ人になってヤハウェと契約して救済されることができますよ。神に選ばれた民になれますが、いかがですか?」

 「結構です。だってヤハウェさんコワいし、戒律がきつそうなんだもん」

 「冗談はさておいて、現在の問題は、本来は砂漠の民のユダヤ人限定の特殊な絶対神ヤハウェが、世界の半分の人にとっての神様になっていることなのかもしれないですね」

キリスト教とイスラム教はなぜ仲が悪いのか?

 「さて次に、ユダヤ人限定の特殊な絶対神ヤハウェが世界の半分の人の神様になっていったのは、ユダヤ教から生まれたキリスト教がヨーロッパ全体に広がるところからです。キリスト教ですが、そもそも“イエス”はユダヤ人で、イエス自身はユダヤ教徒なのです」

 「キリスト教の教祖がイエス・キリストなんじゃないんですか?」

 「違いますね。ナザレのイエスという人は、ユダヤ教の“刷新運動”を起こしたあくまで1人の“ユダヤ教の教師”にすぎません。イエスが生きていた当時、キリスト教というのは存在しません。彼は、戒律主義のユダヤ教を偽善だと批判して、ヤハウェ神は本当は愛をもって人を見守ってくれると説いたのです」

 「それって、普通の神様っぽくていいじゃないですか」

 「そうですね。ユダヤ教が教えるヤハウェ神が、とても厳しくてコワい神様なのに対して、本当のヤハウェ神というのは“愛”をもって見守ってくれているもので、神に離反し“罪”の中にいて、今もさまよっている人間を救おうとしている、とイエスは説いたのです。“迷える小羊”や“放蕩息子”のたとえがこれを表しています。わかりやすく言えば、“怖い専制君主”的な神であるユダヤ教が教えるヤハウェ神を、イエスは“慈悲深い名君”に変貌させたわけです。

 ところがユダヤ教の側からすると、当然のことですが、とんでもない異端の反逆児なわけです」

 「たしかに真逆ですもんね。じゃあ、ユダヤ教の人たちは激オコになったのですか」

 「ええ、激オコです(笑)。イエスを磔の刑にして殺してしまうのです。イエスの活動期間はほんの数年で、信者も数百人程度だったといいます。ここから、ユダヤ教とキリスト教は仲が悪くなってしまうのです」

 「……殺しちゃったんだから当たり前ですよね」

 「さて、キリスト教というのは、イエスの死後、じつはイエスは“キリスト”だったんじゃないかと言う人がユダヤ人の中に現れて生まれるのです」

 「イエスがキリスト?」

 「イエス・キリストというのでイエスが名前でキリストが苗字だと思っている人もいるかもしれませんが、キリストというのはヘブライ語での“救世主メシア”のギリシア語訳です。つまり、人間のイエスは実は人間ではなく救世主=キリストだったのではないか?と言う人たちがイエスの死後に現れたわけです」

 「それで、“イエス・キリスト”なんですね」

 「ユダヤ人の中にも、ず~と耐え忍んでいるけれど、ヤハウェ神が約束を実行してくれる気配がぜんぜんないので、救世主を待望する声が大きくなっていたのです」

 「がまんの限界ってことですね」

 「はい。ヤハウェ神が約束を実行してくれないのは、その時期が来ていないだけなので、戒律を守って耐えなければ、というのが理屈ではあるものの、一部の人はがまんにも限界が来ていたのでしょう。
イエスの死後、イエスが復活し昇天したという逸話から、イエスこそ神の子、メシアであったという信仰が起こり、キリスト教が誕生しました」

 「そういえば、イエス様ってたくさん奇跡を起こしてますけど、実際のところはどうだったんでしょうか?」

 「う~ん、そのへんのことは、現実的ではないので事実とは言いがたいと思います。奇跡のような逸話は、イエスを神格化するために必要な話だったのでしょう。しかしながら、奇跡はさておいても、人間イエスが奴隷や女性といった身分の低かった人たちに手をさしのべ、“愛に満ちた”行動や活動をしたことはたしかです」

 「イエス様って、すばらしい人だったんでしょうね」

 「そうだと思います。多くの人々に“神のような存在としてのイエス”を実感させたのは疑いない事実だと思います。しかし、ユダヤ教の考えを引き継ぐキリスト教において、人間でありユダヤ教の一教師にすぎないイエスが、“神の子”になってしまったことが問題となるのです」

 「抽象的な絶対神ヤハウェしか信じないユダヤ教は激オコじゃないんですか?」

 「人間であるイエスが“神”なわけがないと、当然、激オコです。ここから、キリスト教はユダヤ人のためだけの“民族宗教”のユダヤ教とたもとを分かちます。そして、広くいろいろな異教徒の民族に信者を求める“世界宗教”の道を歩むのです。例えば、ユダヤ教の旧約聖書はヘブライ語というユダヤ民族の言葉で書かれているのに対して、キリスト教の新約聖書は広く信者を求めるために当時の国際語であったギリシア語で書かれているというわけです」

 「じゃあ、キリスト教はユダヤ教から完全に分かれて、聖書も新しくして始まったわけですね」

 「いや、そこはちょっと違います。ややこしい話ですが、キリスト教の経典は旧約聖書と新約聖書の両方なんですよ。ユダヤ教をベースにしてキリスト教があるんです」

 「え~、ややこしいです」

 「初期のキリスト教は、パウロ主義のようなイエスこそが救世主キリストという、“反ユダヤ教”的な主張のものから、ギリシア思想の影響を受けたグノーシス主義、ペルシャのゾロアスター教の影響を受けたマニ教、イエスが救世主キリストであることは旧約聖書に予告されているとするユダヤ教主義などの派閥が抗争をするのです。そして、この抗争に勝ったのがユダヤ教主義で、現在のキリスト教の主流となるのです」

 「じゃあ、キリスト教にはユダヤ教のDNAが流れているっていうことですか?」

 「そのとおりです。ユダヤ教の神ヤハウェとはイエスの神と同一という考えです。よって、ユダヤ教の持つ契約者しか救わないという排他的な世界を引き継いでいると言えるのです」

 「なるほど。でも、なんだかキリスト教はややこしいですね」

 「う~ん、パウロ主義のようにきっぱりユダヤ教に反旗を翻した派閥が勝利していたら、だいぶ話はすっきりしたんじゃないかと思います。けれど、もともとユダヤ教出身なので、そこに理論的なイエスの正統性を求めるようになってしまったのではないかと思いますね。やはり、人間のイエスを神にしちゃったところから、理論的にはかなり苦しいのです」

 「なるほど……」

 「キリスト教を広め、新約聖書の著者の1人であるパウロにしても、イエスとは直接会ったことないわけですし」

 「え~、そうなんですね」

 「ええ、パウロはユダヤ教パリサイ派に属していて、最初はキリスト教徒を迫害していたんですけど、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いて回心してキリスト教徒になるんですよ。イエスの死後にキリスト教徒になった人ですね」

 「じゃあ、イエス様にしてみると、死んでからいつの間にか救世主に祭り上げられて、神にさせられちゃったって感じなのでしょうか」

 「う~ん、霊界に電話して聞いたら、きっとそう言うんじゃないですかね~。イエスが神様と思われるほどすばらしい人だったのは間違いないと思いますが……」

 「なるほど……」

 「さて、次はイスラム教です。アラビア半島でムハンマドがキリスト教の天使ガブリエルから啓示を受けて新たに宗教運動を起こします。

 イスラム教は一言でわかりやすく言えば、ヨーロッパで拡大してヨーロッパ化したキリスト教を、本来の出身地である中東風に戻したものと言えるでしょう。ですから、イスラム教はユダヤ教に似て、戒律主義になるわけです。
唯一神アッラーがムハンマドに天啓として与えた教えはコーランに記されているとされます。ムハンマドはキリスト教の天使ガブリエルから天啓を受けているので、このコーランの神にかかわる基本教義の内容はキリスト教と同じですし、コーランには新・旧約聖書の一部も含まれているのです。主な違いは理解の仕方や強調点で、あとの違いは当時の中東アラブの生活習慣に基づく戒律が多く含まれている点だけなのです」

 「じゃあ、なんでイスラム教とキリスト教は仲が悪いんですか?」

 「イスラム教においては、ユダヤ教と同じで唯一、絶対・永遠の天地の創造主であるアッラーを絶対神としていて、キリスト教での“神の子イエス”を絶対に認めないのです」

 「やっぱり、みんなそこをツッコむんですね。じゃあ、ムハンマドさんは何者なんですか?」

 「ムハンマドは神の啓示を受ける預言者で、人間です。イスラム教において、イエスはムハンマドに先立つ優れた預言者という位置づけで、あくまで人間なのです。ちなみに、イスラム教においてはムハンマドに先行する最も偉大な者として“アダム”“ノア”“アブラハム”“モーゼ”“イエス”の5人が挙げられます。イエス以前の4人はユダヤ教での預言者です」

 「結局、イエス様を神にしちゃったところで、話がややこしくなっちゃうんですね」

 「ええ、さらに面倒なのは、神は人間の世界の時空を超越した存在なので姿や形はなくて抽象的な存在なのに、イエスを神にしちゃったせいで、禁止されているはずの偶像崇拝がキリスト教において行なわれていることです」

 「たしかに!キリスト教の教会ってキリストの像とか普通にありますもんね」

 「キリスト教においてもユダヤ教の流れを汲んでいるので偶像崇拝は禁止なのです。ですから、キリストの像があっても偶像崇拝はしていないとキリスト教は主張しています。でもそれはかなり苦しいロジックで、普通にみれば偶像崇拝していると考えるのが自然でしょう。

 キリスト教が他民族の異教徒に布教するにあたって、初期の段階で対象となったのは差別されていた女性や奴隷といった下層の民衆だったのです。“神の愛の手”を差し伸べる宗教であるキリスト教は、差別されていた人に大いに支持されたわけです。教育を受けていない(文字の読めない)下層の人たちに布教するための方便として、わかりやすい偶像崇拝の方向に流れてしまったのはやむを得なかったと思います。でも、そこが、イスラム教徒にはキリスト教はおかしいと思われる理由の1つなのです」

 「う~ん、なんだか、同じ神様を信じているのに、考え方の違いでずいぶんとややこしいことになっているんですね」

 「まあ、でもイスラム教はキリスト教をおかしいと思っているけれど、積極的に攻撃したり改宗を迫ったりはしていないのです。さっきも言ったように、イスラムが征服したキリスト教徒やユダヤ教も、税金さえ払えばとくに問題なかったのです。そういう意味で、キリスト教とイスラム教の因縁の始まりはキリスト教が仕掛けた十字軍なのです」

 「う~ん……」

 

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松村嘉浩(まつむら・よしひろ)

1989年神戸大学経済学部経済学科卒(数理経済学専攻)。
1989年にゴールドマン・サックス証券に入社し、メリルリンチ証券を経て、1996年にドイツ証券に入社。
ドイツ証券で円債トレーディング部長を務めた後、バークレーズ・キャピタルに移籍し2011年に引退。
主に円債トレーディングおよび自己勘定トレーディングに従事。
2015年に今回の新著の前半部分となる『なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』を発表し、話題を呼んだ。


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