大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きするのがテーマだ。今回と次回はバブル崩壊直後、1990年12月の特集2本を紹介する。(坪井賢一)

「バブルの芽」は
グローバリゼーションにあった

「1986年からの超低金利、カネ余りのなかで生じた株価、地価の実体経済を飛び越えた急騰というバブル(泡沫現象=投機)は、90年10月1日の東証平均株価の一時2万円割れによって一気に吹き飛んだ。」

「週刊ダイヤモンド」1990年12月8日号の特集「フィットネス経済・企業への変身」はこのように書き出している。続けて、

「バブル破裂の原因は、5回にわたる公定歩合上げによる金利高、中東危機による原油高、米高金利に吸引された円安・ドル高などである。85年9月のG5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)プラザ合意以来の、円高、低金利、原油安という長期好況をもたらしたトリプル・メリットが完全に消え、今では現在の景気拡大期間が、いざなぎ景気(57か月)を抜きそうもないという不安心理がひろがっている。」(中略)

「しかし、政府、日銀の円高不況過剰反応、G5合意に基づく金融緩和の行き過ぎだけがバブルをもたらしたものではない。歴史の大きな流れで見れば、80年代の新保守主義の潮流、自由化と規制緩和のベクトルのなかに、すでにバブルの芽が出ていたといえる。

 80年代は、一面でいえば自由主義経済と社会主義経済の競争で、自由主義・市場経済が決定的な勝利をおさめた時として記録されよう。自由化の波はついにソ連・東欧を押しつぶし、中国も開放経済に移行させることになった。一方、自由化、市場経済のイデオロギーは、資本主義諸国をも巻き込み、ヒト、モノ、カネ、情報の自由化、開放を津波のように推し進めた。その結果、金融資本市場は実物経済をはるかに飛び越えた、多様な投機、投資機会を生むに至った。」