「幸せ食堂」繁盛記
【第二十九回】 2016年6月13日 野地秩嘉

昭和の下町の風景を撮り続けた
カメラマンが営む浅草橋の洋食屋。
名物はオムライスと、ボリューム満点の三色ライス

創業110年の洋食店

 浅草橋から歩いて5分のところにある洋食店「一新亭」。テーブルが3卓の小さな店だ。

 創業は1906年。日露戦争が終わった後のこと。開業したのは現店主、秋山武雄の祖父だ。祖父の後、父親がキッチンに立ち、秋山は三代目になる。

 店主、秋山は都立第三商業高校を3か月で中退し、父親の手伝いを始めた。

「浅草橋は帽子屋が多い町でした。帽子を作る職人が大勢、住んでいたわけです。戦後すぐの頃は職人さんのところへ出前することが多かったから、うちには店員が3人いました。売り上げの9割5分は出前だったくらい」

 ところが、店員3人のうち、ふたりが共謀して店に忍び込み、売り上げを持って逃げてしまったのである。

 父親は憤慨すると同時に、他人を信用できなくなり、入学したばかりの長男に「うちで働け」と命じたのだった。

「僕もただ働くのが嫌だったから、じゃあ、店に出るのはいいけれど、フィルムの現像機を買ってくれと交換条件を出したんだ。中学生の頃から写真が好きになって、カメラマンになりたいと思っていたから、あの頃」

 秋山は店の仕事を手伝いながら写真を撮るようになった。仕込みが始まる前の早朝、下町を歩いて回り、面白い、美しいと感じたものを写真に撮った。父親に代わり、シェフとなってからも写真を撮ることはやめなかった。いまでは洋食店の売り上げよりも、プロカメラマンとしての収入の方が多い。

 個人の写真集も出しているし、日本国内だけでなく、ロシア、ウズベキスタン、パキスタン、キューバでも写真展を開いている。読売新聞には「秋山武雄のなつかし写真館」(朝刊 木曜日)という写真コラムを連載してもいる。

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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