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ウォール街 復活の光と影
【最終回】金融界を震え上がらせる
ポール・ボルカーの素顔

「週刊ダイヤモンド」2010年4月17日号より特別公開

週刊ダイヤモンド編集部
【第13回】 2010年9月6日
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 支持率低下に歯止めがかからないオバマ大統領が頼る、ポール・ボルカー。約30年前にFRB議長に就任した当時から今に至るまで、その主張は一貫している。

「米国の銀行制度は時計の針を巻き戻さねばならない」と語ったこともある。Photo: アフロ

 身の丈2メートルの大男。愛想悪く人を見下ろし、ドスの効いた低い声でハッキリとモノを言う。そのため初対面の人は皆怖がるか、威圧感に押されるという。悪く言えば、傲岸不遜にも見える。

 生活は質素そのもの。昼食はホットドッグですませ、くたびれたスーツをまとう。人との待ち合わせ場所には、彼の立場であればリムジンで行ってもよさそうなものだが、彼は1人で歩いて行くという。

 公僕として、私生活を犠牲にした人でもある。公務員となることを妻に反対されたこともあった。妻は重病を抱えていたため、公務員の給料ではやっていけなかったのだ。

 父も公務員であり、土木技師でもあった。父と同じように工学を学ぶと期待されたが、彼はプリンストン大学で経済学を学ぶ道を選んだ。

 卒業後、ニューヨーク連銀、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガン・チェース)への出向や米財務省勤務を経て、1975年にニューヨーク連銀総裁に就任。その後、カーター大統領時代の79年、米連邦準備制度理事会(FRB)議長に任命された。

 「ポール・ボルカーを任命したのは、それがウォール街の意向だったから」とはカーターの政策顧問の話。というのもボルカーは金融や経済に通じているだけでなく、FRBの独立性を確立してくれる人物だと見られていたからだ。

 事実、ボルカーはホワイトハウスの意向などついぞ汲み取る様子を見せず、大胆な政策に踏み切った。当時の米国は、第2次オイルショックによる高インフレに悩まされていた。前任者たちも確かにインフレ抑制を試みてきたものの、国民から批判が上がるたびに手綱を緩めてしまった。

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