橘玲の世界投資見聞録 2016年6月9日

G7サミットに象徴される帝国主義時代と
たいして変わっていない統治の仕組み
[橘玲の世界投資見聞録]

 伊勢志摩で行なわれたG7サミットで、安倍首相はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダの首脳、欧州理事会議長、欧州委員会委員長とともに記念写真に納まった。アメリカは初の黒人大統領となったオバマ氏、ドイツは女性のメルケル首相が参加したが、欧米諸国のなかに唯一、日本が加わるという構図は第二次世界大戦前と同じだ。世界は大きく変化したのに、統治の仕組みは帝国主義の時代とたいして変わっていないのではないか――そんなことを思ったのは、気鋭の国際政治学者、五十嵐元道氏の『支配する人道主義』(岩波書店)を読んだからだろう。

 帝国主義や植民地主義はすでに過去のものとされているが、五十嵐氏はここで、戦前から戦後へと国際社会をひとつのイデオロギーが通底しているとの論争的な主張をしている。そのイデオロギーとは「人道主義」だ。

帝国主義時代の「人道主義」とは?

 帝国主義や植民地主義の時代に「人道主義」は奇異に感じるかもしれないが、奴隷解放運動はキリスト教団体などの人道主義運動から始まり、18世紀末にはイギリスやフランスで奴隷制の廃止が大きな政治問題になっていた。これは「ひとは生まれながらにして平等」とするイエスの教えに奴隷制が反するからであり、奴隷の子孫であるカリブなどの黒人(あるいは白人との混血であるクレオール)のなかに、自由民となって奴隷制廃止の政治・言論活動を行なう者が現われたからでもあった。彼らは英語やフランス語を流暢に話し、高い教育を受け、ヨーロッパ人と同等かそれ以上の教養を持っていた。

 フランスがアフリカに目を向けるようになったのは、北米やインドでイギリスとの植民地争奪戦にことごとく破れたからだった。そのイギリスがアフリカや中近東の権益を強く意識するようになったのは、アメリカが独立してしまったからだ。こうして、それまで奴隷貿易の基地でしかなかったアフリカへの大規模な植民地化が始まることになる。このときのキーワードが「トラスティーシップ」(trusteeship)だと五十嵐氏はいう。

 トラスティーシップは信託における受託者のことであり、信託を受けた者の責任をいう(日本語では「信託統治」)。五十嵐氏はこの言葉を、「国際社会における介入、統治を「する側」と「される側」の非対称な関係、および介入・統治の場を指すもの」と定義する。国と国との関係が対等でなく、非対称であれば、そこにトラスティーシップが生まれるのだ。この定義により、帝国主義時代の宗主国/植民地はもちろん、第二次世界大戦後の開発援助国/被援助国、平和構築におけるPKO実施国/紛争(後)地域の関係を包括的にとらえることができる。

 トラスティーシップは受託国が相手側の主権を一定程度侵害するのだから、そこには道徳的な正当化が必要になる。それが「人間の痛み」(human suffering)で、貧困、飢餓、紛争、大量虐殺といった悲劇を防ぐには人道的介入が不可欠で、そこでは例外的に主権の侵害も許される、という論理になる。

 だが冷戦時代の歴史をすこしでも振り返れば、アメリカや旧ソ連が「人道」の名の下に他国への侵略や干渉を繰り返してきたことは明らかだ。ここで本来なら、「人道」は大きな矛盾に突き当たるはずだが、リベラルな国際政治学者たちはこの問題を意識的に避けてきたと五十嵐氏は指摘する。彼らは、「政治から切り離された人道主義」と「政治によって濫用された人道主義」の二分法を議論の前提にこっそり潜りこませるのだ。

 良心的な活動家にとって、「良い人道主義」は途上国のひとびとをいわれなき暴力から保護するための真心に基づく純粋なもので、政治の権力闘争から離れ、目的実現のためだけに政治を利用する。それに対して「悪い人道主義」は、醜悪な政治的動機を隠すための口先だけの方便にすぎない。

 これと同じ論理で、トラスティーシップも二分化される。植民地統治と冷戦後の平和構築活動は介入・統治「する側」と「される側」の非対称な関係である点では同じだが、リベラルな理論家は人道主義を基準に、自分たちの活動を植民地統治から峻別しようとする。植民地統治は統治者の自己利益の追求が目的であるから不正で、人道的介入は他者の痛みの軽減を目的とするから正義に適うのだ。

 だがいうまでもなく、これはご都合主義的な自己正当化にすぎない。

「トラスト」の最初は、イギリスのインド統治

 五十嵐氏はまず、人道主義の変遷を英領インドから始める。18世紀末にムガル帝国の権力が弱まり、インド全体の秩序が不安定化すると、この巨大な国をどのように統治すべきかがイギリスで大きな政治問題になる。このとき保守主義の思想家エドマンド・バークは、インドの統治権を腐敗した東インド会社からイギリス政府に移譲させ、政府は受託者としての責任(トラスティーシップ)を果たすべきだと論じた。これが、植民地統治に「トラスト(信託)」の論理が適用された最初だ。

 19世紀になると啓蒙主義・功利主義による植民地統治論が登場する。

 功利主義の祖ジェレミ・ベンサムの弟子であるジェイムズ・ミル(ジョン・スチュアート・ミルの父)はのちの植民地行政に大きな影響を与えた大著『英領インド史』(執筆は1806~1817年)で、インド社会のさまざまな病理を分析した。ジェイムズ・ミルによれば、インドでは聖職者階級が行政権のみならず立法権、司法権まで掌握しており、「バラモンの手中では、王は彼らの道具にすぎない」。聖職者階級と政治権力の未分化は野蛮な社会の特徴で、インドの政治システムは「迷信」によって支配されているのだ(もっともミル自身はインドに行ったことがなく、インドの言語にも精通しておらず、イギリス国内で入手可能なさまざまな情報を総合してこの著作を完成させた)。

 次いで息子のJ.S.ミルが、病理を抱えたインド社会をどのように「治癒」すべきかの処方箋を示した。J.S.ミルは、黒人など有色人種が生来劣っていることはあり得ないとしたうえで、偶然的・環境的に優劣が決まることはあり、それは「教育」によって変えられるはずだと考えた。イギリスは文明的で、インドは野蛮であるのだから、両者の非対称な関係からトラスティーシップが生まれ、インドのひとびとを野蛮と独裁から解放することこそがイギリスの責務となるのだ。

 J.S.ミルは、日記に次のように書いている。

 「ことによると、イギリス人は野蛮あるいは準野蛮な諸民族を統治するのに最も適した人々である」

 このようにして啓蒙主義者・功利主義者は、「文明国による“善意の独裁”が野蛮な社会を発展させるうえで最良の政治体制である」と論じるようになる。その手法は古典的なリベラリズムに基づいてインド社会を改良することで、インド総督ベンティンク卿は1829年、サティと呼ばれる夫を亡くした女性の自殺を違法とし、女児の殺害をはじめとするさまざまな悪習を廃止した。

 代表的な功利主義的植民地官僚であるT.B.マコーレーは英語を公用語とし、英語教育を普及させ、現地エリートをインド社会の大衆と帝国政府をつなぐ仲介者として育成することを目指した。マコーレーの政策の狙いは、「われわれ(イギリス人)と統治対象である何百万人もの人々の間の通訳者となるような、肌の色や血はインド人だが、趣味、意見、道徳、知識においてはイギリス人である」インドの中産階級を創出することだった。

 だがここで、人道主義的な植民地改革・社会改良を目指す功利主義的リベラルにとって思いもかけない事態が起こる。1857年から59年にかけてインド全土で、イギリスの植民地支配に抗議する大規模な反乱が起きたのだ(かつては「セポイの乱」と呼ばれたが、現在は「インド大反乱」の呼称が使われている。インドでは「第一次インド独立戦争」と呼ばれる)。

“善意の独裁”によってインドのひとびとを野蛮から解放しようと努力しているにもかかわらず、その統治を否定する反乱が起きたことは当時のイギリス帝国に大きな衝撃を与えた。こうして植民地に対する見方(まなざし)は大きく変更されることになる。かつてはインド社会は野蛮と独裁に苦しんでいるとされたが、それが「無秩序」という病理に変わったのだ。

 当時の啓蒙的なイギリス人にとって、自分たちの“善意”がインドのひとびとから拒絶されたという現実はとうてい受け入れることができなかった。そこで反乱の原因は、これまでの功利主義的な植民地政策が性急な西洋化をインド社会に強要したことあるとされた。それが「(反乱という)無秩序」を生んだのだから、独裁からの解放の前にまずインド社会を無秩序から保護しなければならない。こうして登場するのが「間接統治」(indirect rule)の概念だ。

 イギリスの植民地支配は「分割して統治せよ」といわれるが、間接統治では人種、部族、カーストなどそれまで曖昧だったインド社会のアイデンティティが強化され、さまざまな社会勢力が互いに対立するよう仕向けられた。それまでの啓蒙主義的な社会改良は後景に退き、インドを「遅れた社会」のまま固定化することが統治者であるイギリスにとっての国益となったのだ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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