「遺伝子のスイッチ」が<br />人を本当のリーダーに変える<br />―岡田武史×藤沢久美 対談(3)

元サッカー日本代表監督で、現在は四国サッカーリーグ・FC今治のオーナーとしてクラブを運営する岡田武史さん。

もともとは「精神的に強いタイプ」ではなかったと振り返るが、あるとき「遺伝子にスイッチが入った」と語る。岡田さんが考える「リーダーに必要な経験」とは?

ベストセラー『最高のリーダーは何もしない』著者・藤沢久美さんとの対談もいよいよ最終回!(撮影/宇佐見利明 構成/高橋晴美 聞き手/藤田悠)

▼前回までの対談▼

代表監督では味わえなかった企業リーダーとしての苦悩
―岡田武史×藤沢久美 対談(1)
https://diamond.jp/articles/-/93322

「経営者・岡田武史」はいかにして生まれたか?
―岡田武史×藤沢久美 対談(2)
https://diamond.jp/articles/-/93323

あの時、遺伝子にスイッチが入った

「遺伝子のスイッチ」が<br />人を本当のリーダーに変える<br />―岡田武史×藤沢久美 対談(3)岡田武史(おかだ・たけし)
FC今治オーナー
1956年生まれ。大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学でサッカー部に所属。同大学卒業後、古河電気工業に入社しサッカー日本代表に選出。
引退後は、クラブサッカーチームコーチを務め、1997年に日本代表監督となり史上初のワールドカップ本選出場を実現。その後、Jリーグでのチーム監督を経て、2007年から再び日本代表監督を務め、10年のワールドカップ南アフリカ大会でチームをベスト16に導く。中国サッカー・スーパーリーグ、杭州緑城の監督を経て、14年11月四国リーグFC今治のオーナーに就任。
日本サッカー界の「育成改革」、そして「地方創生」に情熱を注いでいる。

【藤沢久美(以下、藤沢)】現役時代、指導者の時代、そして今の経営者のフェーズ。いろいろな試練があったと思いますが、一番大変だったのはどんなことですか?

【岡田武史(以下、岡田)】僕が「自分が変わった」と感じたのは97年、41歳の時だね。
フランスワールドカップの最終予選終盤で急遽、代表監督になったんだけど、そのあたりからもの凄くバッシングを受けた。電話帳に自宅の電話番号を載せていたせいで、家にも毎日のように脅迫電話がかかってきて、自宅の前でパトカーが24時間待機している状態。気が狂いそうでしたよ。今でも忘れない。

【藤沢】連日大騒ぎ、という感じでしたよね。

【岡田】本当にどん底だった。マレーシアのジョホールバル(アジア最終予選のイラン戦があった場所)からかみさんに電話して、「明日勝てなければ俺はもう日本に帰れない」と言ったし、本当にそう思った。記者にも「だめだったらマラッカ海峡飛び込みます」と言ったら、翌朝の新聞に「岡ちゃん、負けたら自殺」って書かれたり…。飛び込むとは言ったけど、死ぬなんて言ってないよ(笑)。

【藤沢】あのとき、岡田さんは当初、臨時の監督だったのですよね?

「遺伝子のスイッチ」が<br />人を本当のリーダーに変える<br />―岡田武史×藤沢久美 対談(3)藤沢久美(ふじさわ・くみ)
シンクタンク・ソフィアバンク代表
大学卒業後、国内外の投資運用会社勤務を経て、1996年に日本初の投資信託評価会社を起業。同社を世界的格付け会社スタンダード&プアーズに売却後、2000年にシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。2013年、代表に就任。そのほか、静岡銀行、豊田通商などの企業の社外取締役、文部科学省参与、各種省庁審議会の委員などを務める。
15年以上にわたり1000人を超えるトップリーダーに取材。大手からベンチャーまで、成長企業のリーダーたちに学ぶ「リーダー観察」をライフワークとしている。
著書に『なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか』『最高のリーダーは何もしない』(以上、ダイヤモンド社)など多数。

【岡田】そう。監督だった加茂周さんが責任をとって辞めることになったものの、カザフスタンからウズベキスタンへ移動して1週間後に試合があり、新たに代理の監督を呼ぶのは難しかった。だからヘッドコーチだった俺が代わりにやることになったの。ただし、そのときは、こっちも「1試合だけなら」という約束だったんだ。

【藤沢】でも結局、そのあとのウズベキスタン戦以降も監督を務められましたね。

【岡田】そうそう。初戦・ウズベキスタン戦までの1週間は必死だった。当時、代表キャプテンだった井原(正巳)から「あの1週間の練習はめちゃくちゃきつかった。こんな練習したら試合なんてできない。責任とってもらおうと思っていましたよ」とあとで言われたりしたよ。ありとあらゆることを試したし、中田ヒデをAチームから外したりもした。不貞腐れる奴がいたら日本に帰そうと思っていたけど、みんなめちゃくちゃ一生懸命やってくれたんだ。

【藤沢】テレビで見ているだけではわかりませんでしたけど、岡田さんもかなり追い込まれていたんですね。

【岡田】これは耐えられない、早く逃げたい、早く終わってくれと思っていたよ。でもね、予選を戦っていくうちに、なぜか開き直れた。分子生物学者の村上和雄さんの本に書かれていた言葉だけど、「遺伝子にスイッチが入る」ような感覚があったんだよね。それまでの俺は、決して精神的に強いタイプじゃなかったんだけど、あのときに何かが変わった。