「ガラパゴス化」は
本当に悪いことなのか

 ここ数年、「ガラパゴス化する日本」という論調がよく聞かれる。外界から遮断され、独自の生態系を維持したがために、世界の進化からは取り残されてしまった孤島になぞらえて、日本製品の国際競争力のなさが揶揄されている。

 よく引き合いに出されるのは、携帯電話である。日本の携帯電話は世界でも類がないほどの高機能だが、世界の標準から見れば、きわめて特殊なカスタム品で、国際競争力に著しく欠ける。日本では売れても、世界ではさっぱり売れない典型的な「ガラパゴス製品」と言われている。

 他にも、液晶TV、DVDレコーダー、カーナビなど多くのエレクトロニクス製品が、「ガラパゴス化」していると言われる。確かに、現象面だけを見れば、高機能、高付加価値ではあるが、世界のスタンダードから取り残され、国際競争力に欠けている製品は数多く存在する。

 こうした中で、日本企業も「ガラパゴス」から脱し、新興国市場で受け入れられるような世界標準の、ローコストなコモディティ製品にシフトすべきであるという指摘をよく見かけるが、それはきわめて短絡的、かつ戦略性に欠ける議論だと言わざるをえない。

 卓越した技術力を基盤とした製品の高機能化、高付加価値化は日本の競争力の源泉であり、それを捨てるような処方箋はありえない。韓国企業や台湾企業の成長が著しいからといって、その後追いをすべきという発想自体が安易であり、ナンセンスである。

 そもそも経営とは「際立つ」ことである。競合企業が生み出しえないような独自の価値を究めることが経営の目的である。

 その意味では、「ガラパゴス化」という言葉が適切かどうかは別にして、独自の進化を遂げ、独自の価値を生み出している今の状況を、悲観的に見過ぎるのは好ましいことではない。