富士重工業(スバル)の快進撃が続いている。好調な北米市場が牽引し、昨年度の販売台数は4年連続で過去最高を更新。販売台数では最大手のトヨタ自動車の10分の1、業界シェアはわずか1%にもかかわらず、売上高営業利益率は実に17.5%とトヨタ自動車の10%をはるかに上回る。かつて、富士重工業の筆頭株主だった日産自動車が経営悪化に伴い保有株をゼネラル・モーターズに売却。さらにトヨタ自動車へ渡るなど、大手メーカーの狭間で世界的な再編の波に翻弄された後、2008年度と2009年度は最終赤字に転落した。規模こそが勝ち残りの要件とすれば、富士重工業は明らかに負け組だった。にもかかわらず、なぜこれほどの高収益企業に変貌することができたのか。そこには、これまでの自動車業界の常識を覆す吉永流の「脱・常識経営」があった。(コンサルティング編集部 松本裕樹)

飛行機会社として受け継いだ
秘めた力を引き出す

編集部(以下色文字):富士重工業の前身である飛行機研究所(後の中島飛行機)の創業から来年5月で100年となります。この間で受け継がれてきた御社のDNAとは何でしょうか。

吉永(以下略):100周年を前に、この数年間、「富士重工業とは何ぞや、スバルとは何ぞや」と考え続けてきました。自動車業界で規模が小さい当社のコアコンピタンスはいったいどこにあるのかと。

 そして行き着いた結論は、「富士重工業は飛行機会社である」ということでした。

秘めた力を引き出す「脱・常識経営」<1>富士重工業 代表取締役社長
吉永泰之
1954年東京都生まれ。1977年成蹊大学経済学部卒業後、富士重工業入社。主に国内営業および企画部門を担当する。2006年戦略本部長、2007年スバル国内営業本部長、2009年取締役兼専務執行役員。2011年6月に社長就任後は次々と改革を断行し、売上高、各利益ともに4期連続で過去最高を更新。温和な表情だが、飛び出す言葉は時に鋭く手厳しい。三面六臂(さんめんろっぴ)の阿修羅像の写真を常に身近に置く。

 たとえば自動車を設計する際、当社の技術陣は何を置いてもまず安全な車をつくり、人命を守るということを徹底的に考えます。安全性を高めることが、コストを下げることよりも、はるかに高い次元にあるというのが暗黙の了解になっている。

 そもそも当社が1958年に発売した最初の市販車「スバル360」の時代から、車を壁に衝突させる安全試験を自分たちでやっているんです。当時、「てんとう虫」と呼ばれた卵のような独特の形も、薄くて軽い鋼板を使っても丈夫なボディの形を追求した結果のデザインでした。

 この「最高の安全性を追求する」という思想は、いまに至るまで脈々と受け継がれています。「ぶつからないクルマ?」で知られる運転支援システム「アイサイト」が2010年に大ヒットしましたが、これも技術者たちがその当時で20年もの間、研究してきた技術です。

 アイサイトの技術は長い間、まったく日が当たりませんでした。何せ地味な技術ですから、技術者たちは技術本部の片隅で研究し続けていたのです。

 商品化した後、技術者たちに「いったい何があなたたちを20年間も支えてきたんですか」って聞いてみたんです。会社人生の大半を一つの技術に捧げるという決断の背景には、よほどの強い思いや執念があるだろうと思うじゃないですか。

 しかし、私の問いに対して彼らは「事故を減らしたかっただけです」って、こちらが拍子抜けするぐらい淡々とした口調で話しました。これこそが富士重工業の価値なんだと気づかされました。

 当社がコスト競争でライバルと伍していくのは無理です。というか、そういう会社ではない。ではどうやって生き残っていくのかと考えた時、飛行機会社として培ってきた先述の「富士重工業の価値」を伸ばしていこうと思い至ったのです。

 第二次大戦後、多くの国産自動車メーカーが海外自動車メーカーと提携して車作りを学ぶ一方、御社はモノマネを嫌い、独自に自動車開発を行った結果、水平対向エンジンや独自の四輪駆動システムなどの差別化商品を生み出してきました。コストを顧みずに安全性を追求する背景には、航空機の技術者としてのプライドもあったのでしょうか。

 戦後の財閥解体の中で、飛行機をつくっていた技術陣はスクーターを生産したり、生き残るためにいろいろなことをやりました。そして自動車の生産に乗り出すことを決めた時、やはり飛行機の技術屋としてつくりたい車というのを考えたと思うんです。

 たとえば、スバル車の特徴である水平対向エンジンは、基本的に飛行機のエンジンと同じ構造です。左右対称に対向するよう設計された横型のシリンダー内をピストンが動くので、一般的な縦型のエンジンよりも重心が低く安定性が高まるメリットがある半面、コストは高くならざるをえない。飛行機を設計していた技術者が、よいものをつくりたいという思いで設計したことがよくわかります。

 この「何をつくりたいかを自分たちの頭で考える」という気風は、当時からいまに至るまで脈々と続いていると思います。営業畑出身の私が言うのも何ですが、当社の特徴というか最大の売りは何かと聞かれれば「技術陣です」と断言できます。