「幸せ食堂」繁盛記
【第三十回】 2016年6月27日 野地秩嘉

漁師料理風の「はも鍋」「クエ鍋」も食べられる
市ヶ谷の気の利いた飯処
女性好みの繊細な味と雰囲気の店

市ヶ谷においしいものがない

 JR市ヶ谷駅の両隣は四谷、飯田橋になる。四谷には安くておいしい店が集まる「しんみち通り」がある。飯田橋には安くはないが、おいしい店が集積している神楽坂がある。どちらもグルメの人々が足を運ぶ街だ。

 一方、市ヶ谷駅近辺にはおいしい店はあるのか。……中国飯店くらいだろうか。でも、中国飯店も三田店の方がおいしいと思うし……。要するに、市ヶ谷には、おいしい店は少ないと言っていい。

「そうなのよ。わたしもそう思う。ここにあるのはラーメン屋とか中華ばっかり」

 憤慨するのは、「なる川」の店主、成川照美である。

「私はここに移ってくる前、四谷三丁目に事務所があったの。編集プロダクション。多いときは18人くらいの従業員がいて、いまは12人かな。まあ、そんなことはどうでもいいけど……。市ヶ谷に事務所を移してきて、さあ、みんなでランチを食べに行こうと思ったら、ほら、ラーメンや中華しかなくて……。だからといって、電車に乗って四谷三丁目まで食べに行く時間はないのよ。それで決心した。よーし、会社は若い人にまかせて、私は食堂を作っちゃおう。そう決めたのよ」

 決心した彼女が、なる川を作ったのは5年前のこと。目論見は当たり、同店はラーメンと中華に飽きた市ヶ谷の男子女子の憩いの場となっている。

 昼間のランチは1000円。タルタルチキン南蛮、豚のしょうが焼き、魚の干物といったメインに、小鉢が2品つく。

 夜は釜揚げしらすとピーマンのチーズ焼き(600円)、明太子と大根おろし(500円)、大根とホタテサラダ(600円)といった野菜を主にしたつまみが人気だ。酒は各種置いてある。加えて、ご飯のおかずにもなる、つまみもある。

 牛肉とエリンギのオイスターソース炒め(1000円)、豚キムチ(800円)、銀鮭の甘塩焼き、さば、あじの開き(いずれも700円)。単品メニューに600円を追加すると、小鉢2品、ご飯、味噌汁、おしんこがつく。酒を飲まない人は単品をふたつくらい頼んで、食事をする。

 夜、なる川へ行くと、酒を飲んで盛り上がっているグループ客の隣で、イヤホンで音楽を聴きながら、スマホで検索をし、銀しゃけの身をほぐすというマルチタスクを行う女子が必ずいる。居酒屋であり、かつ、食堂という店だ。 

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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