熊本からの支援団体撤退が早すぎ!<br />メディアが伝えない「復興の鍵」は?復興支援ファンドによる被災地支援が評価され、岩手県から感謝状が贈られた野村アセットマネジメント、野村證券、野村信託銀行の3社。

 野村アセットマネジメント株式会社による投資信託「東日本復興支援債券ファンド1105」 が今年5月に満期償還を迎え、最後の寄附金22,916,413円が青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県の5県および仙台市に贈呈された。

 このファンドは、東北の復興支援を目的のひとつとして2011年4月8日に届出が出され、同年5月17日に約518億円にて設定された単位型の投資信託。復興に寄与すると考えられる政府機関・地方公共団体・企業の発行する債券を含む国内債券およひ国債を投資対象として運用するとともに、野村アセットマネジメント、野村證券(販売会社)、野村信託銀行(受託会社)の3社合意のうえ、決算毎に受け取った信託報酬の一部(ファンドの日々の純資産総額に 対して年率0.2%程度)を寄附するという商品だが、当時の状況とファンドの規模感を考えれば、かなりスピード感のある思い切った決断で組成された商品だと思う。

 被災地での評判も高く新聞でも紹介され、また社内での関心も高かったようで、営業部隊も使命感を持って販売。約45,000人の投資家がこの商品を購入した。この類いの商品では、非常に珍しいことだという。また、半分近くの約20,000人が、満期償還までの5年間、保持していたという。それだけ多くの投資家がこの商品の意義を理解し、ずっと保持していたということだ。5年間の寄附金の総額は 3億2491万6413円になるという。

 復興支援や事業というものは、長期にわたる。1995年に起きた阪神・淡路大震災の最後の復興事業が終了したのは、2011年の(まさに)3月である。16年かかった。こんなことは行政だからできることで、民間企業やNPOがそうそうできることではない。なので今回、野村アセットマネジメントが行った5年におよぶ継続的な支援は、民間企業ができる最大限の支援だろう。しかもそれを本業である投資のスキームを活かしてやってのけたことは、やはり特筆に値すると思う。これぞまさに「本業を通じた社会貢献」を越えた、「本業と社会貢献の統合」であり、数少ないCSVの成功例ではないかとも思う。

支援団体が続々と撤退する熊本

 さて、熊本である。東北の震災時には、多くの企業、団体が2年、3年と長期にわたっての支援を行なってきたし、ソフトバンク系の東日本大震災復興支援財団やYahoo!基金などのように、5年を超えて支援を続ける財団、企業もまだある。しかし熊本はどうか。復興支援が十分に行われるか危惧されている。支援団体の「撤退」が早すぎるのだ。5月には自衛隊がまず撤退した。支援活動で熊本に入っていた多くの団体も5月で撤退した。残った団体も、この夏に撤退を決めているところが多い。

 震災発生から3ヵ月。もちろん、支援ニーズがなくなっての撤退であれば問題はない。避難所から仮設住宅への移住も始まり、行政も避難者にそろそろ自立を促している。避難所には物資提供のコーナーがあり、飲料、食料からシャンプー、下着などの生活用品が山積みにされていたりする。ペットフードもあるし、携帯電話の充電コーナーもある。益城町の総合体育館ではいまも多くの避難者が暮らしているが、歩いてすぐのところにコンビニが営業しており、基本的な生活用品はたいていのものが買える。このような光景だけを見ていれば、熊本支援もそろそろ終わっても良いのかと思うかもしれない。しかし、そうではない。

 ご存じのとおり、益城町は震度7の激震に二度も襲われた。今回の熊本地震でも最も被害が大きかった地区のひとつであるが、その益城町の中心部を貫く県道沿いの商店街も、ほとんどの商店が全壊、半壊状態となるほどの壊滅的な被害を受けた。その商店街の一角の空き地にテントを張り、地元の自宅避難者を主な対象として支援活動を行なっている団体がある。「IKIMASU熊本」という、地元の支援団体である。

 益城町に行くたびにこのテント村(?)が気にはなっていたのだが、6月上旬のある日、その日は日曜日ということもあってか、いつも以上の賑わいを見せていた。それで、僕も車を駐車場に入れて、寄ってみることにした。