日中戦争を考える

次に日中戦争である。日本軍を中国に送り込んだこと自体が侵略だという人がいる。日中戦争は満州事変から始まったのであり、そのときから1945(昭和20)年まで、日本はずっと中国を侵略し続けたという人もいる。

日本はたしかに満州事変を起こした。この満州事変をどう見るべきかについては、非常に勉強になる報告書がある。当時北京にいた米公使のジョン・マクマリーの報告書だ。

マクマリーは、なぜ日本が満州を攻撃したかについて立派なレポートを書いた。日本が引き起こした満州事変を、彼は厳しく非難しながらも、「満州事変は、中国が自ら撒いた種を刈り取っているようなものだ」と書いている。そのような分析の背景を理解するには、約10年ほど前まで遡り、ワシントン会議のことから掘り起こさなければならない。

1920(大正9)年から翌年にかけて、アメリカの首都ワシントンで海軍軍縮会議が開かれた。結果として、ワシントン体制と呼ばれる世界秩序が一応はつくられた。そのポイントは、ヨーロッパ諸国もアメリカも日本も、これ以上中国を侵略せずに現状維持でいくということだ。そのためにも、いま結ばれている条約、契約、決まり事を関係諸国がきっちりと守るという合意でもあった。

現状維持なのだから、中国はもうそれ以上の侵略を受けないという理屈だ。日本はこのいわゆるワシントン体制に忠実に従った。しかし、従わなかった国が1つだけあった。中国である。当時の中国はありとあらゆる形で日本を挑発した。抗日運動をし、日本人を殺害し、契約を破り続けたのである。

このことをつぶさに見ていたのが、北京にいた米欧諸国の外交官だ。その筆頭がアメリカ公使のジョン・マクマリーだった。彼はざっと以下のように書いている。

「日本が満州事変を起こしたことを非難する。しかし、原因をつくったのは中国である。他の国々と較べて、日本がワシントン体制を守ろうと最も誠実に努力してきたことは各国の外交官全員が認めるところだ。一方、中国は日本を挑発し続けた。日本は耐えかねて、ワシントン体制に合意した米欧諸国にワシントン体制の見直しを申し入れた。しかし、米欧諸国、とりわけアメリカ政府は中国側に立って日本の要請を無視した」

以上のように書いて、マクマリーはアメリカの判断は間違いであると断じ、次のように結論づけている。

「米欧諸国が中国の横暴な振る舞いを黙認する中、日本は満州事変に踏み切った。満州事変そのものは日本に責任があるが、そこに至る過程を考えれば、事変そのものは中国が自ら撒いた種を刈り取っているようなものだ」

当時の米国務省の主流は親中派だったため、アメリカ随一の中国専門家と言われたマクマリーのこの報告は無視され、放置されてしまった。

こうしたことを考えると、日中戦争の評価の難しさを痛感せざるを得ない。だからこそ、私たちはもう一度、歴史について学んでみることが大切だと感じている。

ちなみに、どんな本を読めばよいのか。推薦するとしたら、私はジョン・マクマリーの『平和はいかに失われたか』と、国際連盟のリットン調査団報告書を渡部昇一氏が解説した『全文リットン報告書』の2冊をお薦めしたい。

・『平和はいかに失われたか――大戦前の米中日関係もう1つの選択肢』(ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー/原著、アーサー・ウォルドロン/編著、原書房)

・『全文リットン報告書』(渡部昇一/解説・編、ビジネス社)

(「言論テレビ」コラム 2015年8月10日号に加筆修正)