「幸せ食堂」繁盛記
【第三十三回】 2016年8月8日 野地秩嘉

「台湾家庭料理は、お客さんの笑顔のための料理。
だから、おいしくて安くて、やさしい味でないと
いけない」と元住吉の大衆食堂店主は言った

「ブレーメン通り」にある台湾家庭料理の店

 東横線元住吉駅を下りたところの道は通称「モトスミ・ブレーメン通り」という。

 バブル経済の真っただ中である1988年に、元住吉西口商店街に「ブレーメン通り」の名前が付いたストリートが設けられ、ブレーメン音楽祭まで実施していた。そして1990年には商店街自体の名称を上記のように変更し、1991年には、ドイツ北部の町、ブレーメン市にある商店街ロイドパサージュ(商店街)との友好提携にも合意したのである。かくて、1998年には、商店街のなかほどに、友好のしるしとしてロイドパサージュから贈られたブレーメンの音楽隊像も立った。

 ちなみに、みなさんの頭に浮かんだ『ブレーメンの音楽隊』はグリム童話にある。内容を覚えていない方はあらためて読んでください。

 ついでに言えば、駅からほど近い24時間営業のチェーン「富士そば元住吉店」のメニューには、ブレーメンそば(470円)があり、そばの上にソーセージ2本とフライドポテトがのっている。また、 ドイツ南部の街ミュンヘンを代表するビール、レーベンブロイ(アサヒビールがライセンス生産)もある。他の「富士そば」にはない。

「台湾小吃 美(メイ)」は、ブレーメン通りから少し入った路地に面している。店名にある口偏に乞という字は「食べる」「食事する」という意味で、小吃(シャオツー)とは軽食のこと。ひいては、おそうざいのような食べ物でもある。要は家庭料理の食べられる大衆食堂と理解したい。

 その名の通り、同店のメニュー、雰囲気とも台湾各地にある大衆食堂そのままである。

 蛍光灯の照明、ベンチシートの客席、テーブルの上の透明なビニール、つねにテレビが番組を流している。日本も台湾も大衆食堂の店内風景は似たようなものだ。

 そして、同店が大衆食堂らしい点はインテリアだけではない。家族が一丸となって運営しており、しかも、店は暮らしの本拠地になっている。

 午後6時半を過ぎると、店主、河原茂美(台湾名・李)の夫、康幸が会社から帰ってくる。途中、保育園に通う長女を拾って戻ってくる。そこに小学校6年生の長男が加わる。父、息子、娘は店のテーブルに座る。すると、店主であり、母親である茂美(マオメイ)が料理を運んでくる。

 卵とトマト炒め(880円)、鴨舌のしょうゆ煮込み(1000円)、その他である。父は黙ってビールを飲み、息子と娘は遊びながら食べる。

 客は家族と一緒に台湾のおかずを食べながら、店内に置いてあるテレビで台湾のニュースを見る。店主の故郷、台湾西北の町、新竹には、この店と同じ風景があるに違いない。

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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