運命を変えた八幡商業の同窓会

 平野商会の代理店を返上して、さてどうしたものか、これで売るものががくっと少なくなってしまった。まさに会社存亡の危機である。

 ところが、ことの経緯を神戸の中野ボタン店に話したところ、

「塚本はん、ようやったがな! よっしゃ、売る商品がないんやったら、うちのを扱わせてあげまひょ」

 と胸をたたいてくれ、同店の扱う飾りハンカチなどの繊維雑貨でなんとか息をつくことが出来た。

 その後、ヘアークリップを京都のメーカーに試作させてみると、これが飛ぶように売れた。

 なんとか平野商会代理店返上の穴を埋めることができたが、さらに儲けるためには人手がいる。

 まずは身内でと考えるのが普通だが、幸一には残念ながら兄弟がいない。ところが一人、優秀なようで頼りない人物が手を上げた。父親の粂次郎である。昭和22年(1947年)で54歳になっていた。

 ところが戦後の彼は、以前の不摂生がたたって心臓の調子がよくなかった。そのため仕事と言っても、帳簿つけくらいしかやってもらえない。

 次に目をつけたのが義弟の木本寛治である。

 当時、八幡商業の学生部長をしていた彼を熱心に誘ったが、慎重な木本は、

「いずれは行きます」

 と繰り返すだけで、なかなか首を縦に振らない。

 親戚なのに冷たいと思うかもしれないが、当時の和江商事の信用などないに等しい。一生を託して入社するのは難しかった。戦前、大阪の商社に勤めていた木本であればなおさらだ。

 そんな幸一に、リクルーティングの千載一遇のチャンスがやってきた。