夜のドライブをしながらお互いが日々思うあれやこれやを共有する時間があると、日常がわりとスムーズになるという実感があります。

 もちろん、お互い疲れがひどいときなどは余計な話が発展して一気に険悪になることもなくはないのですが、それもガス抜きのようなもの。移動時間は必ずしも非生産的な時間ではなく、家族時間の一部として考えられるというのは、この生活をはじめてみてからの発見です。

 ちなみに帰り道、染みついたのどかさが抜けて平日業務のことが脳裏に蘇るのは、東京湾横断の瞬間です。

 野良仕事しっぱなしの肉体には、ぐいんぐいんと動き続けそうな勢いがまだあり、心は澱が抜けてシンプルな状態にあり、心身共にああもう数日いられたらなあと惜しむのもつかの間のこと、車がアクアラインのトンネルに吸い込まれると気分がばっさりと切り替わります。

 今週は木曜日が原稿締め切りだな、提出書類は明日夜やろうかな、保護者会もあったな、と次第に覚醒し、リフレッシュタイム終了。ちーん。浮島のインターチェンジを下りるころにはもうすっかりモードもチェンジされ、さあ、また1週間頑張ろう、と川崎の工業地帯の灯りを見つめる。そんな帰り道です。

 アクアラインを境に、世界が切り替わる。

 東京での脳的生活と、南房総の農的生活、これを行き来するスイッチが生活に組み込まれていることにより、今いる世界の輪郭が見えてきます。輪郭が見えるということは、外側から見る視点を持つということ。つまり、たまたま自分が今いる場所が、世界のすべてではないという解放感を得ることです。

 二つの地域のどちらにも所属し、どちらからも自由になれるとき、不必要なこだわりや萎縮がなくなります。まるで持続性鼻炎カプセルのように、そのリラックス効果が平日まで続くのはありがたいことです。

(第19回に続く)