平日イノシシ暮らしの場所になっているのか一度は千葉県では絶滅したはずのイノシシが、なぜこの数年こんなに増えているのか調べてみれば、狩猟目的でイノブタおよびイノシシを放した人間がいるという証言があるようです。

 人間の勝手で放たれたイノシシが繁殖して人里に下りてきているのであれば、「悪いのはイノシシ」とは言い難いでしょう。イノシシだって生きる権利があるのだから。

 また、草刈りに手が回らなくなり、耕作放棄地が増えることで、獣が人里に近づきやすくなったという環境の変化も大きいといいます。

 現に我が家の近隣の土地も、7年前はいつもきれいに刈られていた土手に草が多く繁り、田んぼだった土地が1枚、また1枚と手つかずの耕作放棄地へと変わり、少しずつ荒れていっているという現実があります。

 そして何を隠そう、自分たちだって草刈りがやり切れず土地の管理の大変さに常にあっぷあっぷしている状態。なぜイノシシが里に下りてくるのかを考えていくと、被害を受けて落ち込む気持ちのやり場は、おのずと人間の暮らし方や振る舞いへの考察に向かいます。

 イノシシなど獣害が原因で農業や農村暮らしを続ける意欲を失う人が増え、さらに耕作放棄地が増大しているという農村部の問題を、わたしは身をもって知ることになりました。

 人間だけが住むことを想定されてつくられた都市とは違い、動物たちと共生する里山での暮らしは、生まれてからずっと都会で生きてきたわたしにとって衝撃的ともいえる豊かさを感じさせてくれました。

 でも、同時に目の当たりにしたのは、「自然と人との関係の壊れ方」。わたしたちが住みはじめてからの数年の間だけでも刻々と悪い方へ向かっていく、それをひしと感じる中で募るのは、クライシスへ向かう不安感です。東京だけに暮らしていたら感じようのない類の不安です。

 都市的生活をする人間が増え、田舎から人が離れているということで、こんなふうに土地は荒れ、風景が荒れ、ますます田舎から人が離れるんだなあという実感は、それまで自然の恵みを享受するばかりだったわたしに、「これを知った後、わたしはどう生きるべきなの?」という問いを自らに投げかけます。

(第24回に続く)