橘玲の世界投資見聞録 2016年8月18日

トルコで「成功するはずのないクーデター」の主犯とされ、
報復粛清されているイスラーム組織ギュレン運動とはなんなのか?
[橘玲の世界投資見聞録]

 7月15日、トルコで軍の一部がクーデターを画策し、エルドアン大統領が宿泊するホテルを急襲すると同時に、ボスポラス海峡にかかる橋を封鎖し、一部部隊が国営テレビ局を占拠した。2003年に首相に就任し、14年には大統領に鞍替えして憲法改正でより強力な権力を握ったエルドアンの政治基盤は磐石で、欧米からは“独裁”を批判されていたから、予想外のクーデターは世界に衝撃を与えた。IS(イスラム国)の台頭でイラクとシリアが国家崩壊の瀬戸際に立たされ、生きる術を失った難民がヨーロッパを目指すなか、イスラーム諸国とヨーロッパを結ぶトルコの政治・社会が不安定化すれば地域秩序に激震をもたらすことは間違いない。

 しかしこのクーデターには謎も多い。決起したのは軍の一部で全軍の支持を得られる状況ではなかったし、エルドリアン政権に批判的な野党も含め、民主国家として成熟してきたトルコの民衆には軍による独裁を認めるような雰囲気は皆無だ。さらには、この無謀なクーデターを誰が、なぜ実行したのかもよくわからない。

 トルコ政府は、軍や司法に浸透したギュレン運動の支持者がクーデターを画策したとして容疑者の大量逮捕に踏み切ったほか、米国に亡命中の創設者フェトゥフッラ・ギュレンの引渡しを求めている。しかしギュレン自身はクーデターへの関与を否定しており、首謀者かどうかは不明なままだ。

 今回は、このよくわからな事件を理解する一助として、トルコ近代史を専門とする新井政美氏の『イスラムと近代化』(講談社選書メチエ)に依拠しつつ、日本人にはほとんど馴染みのないギュレン運動とはなにかを考えてみたい。なお、下記の記述はあくまでも私見である。

ボスポラス海峡を隔ててブルーモスクを望む     (Photo:©Alt Invest Com)

 

英雄ムスタファ・ケマルが建国したトルコ共和国

 イスラームの盟主として君臨したオスマン帝国が第一次世界大戦で崩壊したのち、国家滅亡の危機のなかでイギリス、フランス、ロシアなど列強との独立戦争(祖国解放戦争)に勝利し、トルコ共和国を建国したのは英雄ムスタファ・ケマルだった。

 フランス革命は旧態依然たるカトリックとそれに支えられた絶対王政を打ち倒しフランス共和国を成立させたが、ケマルはそれと同様に、自らが主導する革命が遅れたイスラーム(スルタン=カリフ制)を打破して「(トルコ)共和国」を誕生させたのだと考えた。その共和国の初代大統領となったケマルはカリフ制を廃止したほか、宗教学校やシャリーア法廷を閉鎖し、アラビア語を廃してラテン文字に改めるなど、徹底した欧化=近代化政策を採用した。それ以降、世俗主義がトルコの国是となり、ケマル(1934年に「父なるトルコ人」を意味するアタテュルクの姓を大国民議会から贈られた)の権力基盤だった軍が「共和国=世俗国家」の理念を護持することになった。

 しかしトルコには、世俗主義以外に強力な2つの政治勢力が存在した。ひとつは汎トルコを掲げる民族主義、もうひとつは宗教的伝統への回帰を求めるイスラーム主義だ。

 ケマルが1938年に病死すると、第二次世界大戦後のトルコは米ソ冷戦の最前線として翻弄されることになる。とりわけ1970年代には、石油危機(73年)に加え、キプロス出兵(74年)によるアメリカからの軍事援助停止・武器禁輸の制裁を受け、それまで20%台で推移していたインフレ率は77年から急進し、79年には100%に達するまで物価が高騰した。

 経済の悪化で失業者が増えると、社会不安が高まるなかで労働運動や学生運動が活発化した。クルド系民族主義者がクルド労働者党(PKK)を結成し、マルクス主義を標榜して分離運動を展開したこともあって左右両派による政治テロが頻発、78年の段階でその犠牲者は年間1000人を超えた。このときトルコ社会は、世俗主義(ケマル主義)、トルコ民族主義、イスラーム主義、共産主義の4すくみの状態で、それに異民族(クルド)や異宗派(アレヴィー派)などが加わって未曾有の混乱状態にあった。

 60年代後半からトルコでは極左が台頭し、71年3月には「トルコ人民解放軍」が米軍の下士官を誘拐し、捜査に向かった治安部隊と学生の間で銃撃戦が起きた。この事件を「国家的危機」と見なした軍部は、参謀総長および陸海軍各軍司令官の連名で、大統領ならびに上下院議長宛に書簡を送付し、「政治社会の混乱のためにアタテュルクの精神に基づいた改革がないがしろにされている現状に絶望しており、政治家が党利党略を捨てて改革の再開に努めなければ、軍は憲法に定められた義務を遂行して国政を掌握する決意である」と警告した。

 軍によるこの強い圧力を受けて内閣は総辞職、戒厳令が施行され、欧米追随を「フリーメーソンとユダヤの陰謀」と糾弾していたイスラーム政党が閉鎖を命じられると同時に、トルコ労働者党をはじめとする「左派」5000人が逮捕された。

 戒厳令を敷いても社会が安定しないと、軍は1980年にクーデターを起こして「決められない政治」を一掃し、反社会勢力を大量に逮捕した(クーデター1年後には逮捕者は12万人にふくれあがった)。その後、国民の圧倒的な支持を受けて憲法を改正し秩序を取り戻すことになる。

 80年の軍事クーデターは10年近く前に軍の総意として予告されており、70年代末に内戦状態に近いほど社会不安が高まると、国民の多くがごく自然にクーデター(軍政)を期待するようになった。軍の立場が反共・世俗主義の擁護である以上、西側諸国もこのクーデターを支持した。要するに、誰も驚かない出来レースのような「クーデター」だったのだ。

 だがそれから35年以上が過ぎ、トルコ社会も軍の置かれた状況も大きく変わった。いまではクーデターは国民の怒りを引き起こすだけで、軍事的な冒険が成功する条件はまったくなかった。だったらなぜ、こんなことが起きたのだろうか。

イスタンブールの中心部にあるグランドバザール   (Photo:©Alt Invest Com)

 


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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