「いつまでに」「どういうレベルになってほしいか」
不明確なゴール設定

 テレビ・カメラは入っているものの、研修所は閉鎖的な空間です。研修メニューが理不尽だと思ったとしても、指導者(上司・先輩社員)と新人という上下関係ですから抗議することは事実上、不可能です。脱出することは即、退社を意味するでしょうから、それもできません。そのような状況下で、過酷なメニューは際限なくエスカレートする可能性があります。

 もちろん上司・先輩社員のサポートがあるとはいえ、入ったばかりの新人たちですから、会社側は各人の体力や体質を熟知しているわけではないでしょう。復路の帰還が深夜に及ぶ長期距離の行軍は、かなりリスキーです。怪我人や病人が出なくて本当によかったと思いますが、そうしたリスクを負って、なお身につけるべき精神力なるものがあるのでしょうか。

 ビジョン・ミッション暗記、エンドレスラジオ体操というのも、相当にヘンテコです。限界までの大声とか、真面目で気合いの入った体操。それは、定量的な評価があり得ず、判定する側の主観によって、いかようにも解釈が可能です。だからこそ、過酷なメニューが際限なくエスカレートする可能性があるわけで、主観によって合否が決められ、罰が与えられるというのは「しごき」や「いじめ」と変わるところがないように思います。

 さて、これらのメニューは、その狙い通りの成果に結びつくものでしょうか。

 自分の限界までの大きな声を出せと言っても、なかなか大きな声が出るものではない。そこで、「もっと大きな声を出せ」と指示されて、だんだん声が大きくなる。これによって「最初はこのくらいの力加減でいいだろう」という考え方を払拭させるというのが狙いだそうです。

 大きな声を出したり、気合いの入ったラジオ体操をしたりというのが、ビジネスを遂行する上での能力なり、やる気を象徴する、もしくは代用する、というのはアナロジーの濫用・悪用というべきでしょう。意味があることとは、私には思えません。

 王将にしろ、この中堅企業にしろ、苦心して研修企画を練ったのでしょう。経営者の思いが込もっていることもわかります。

 しかし、精神論だけでは人は育たないでしょう。教育効果について検証したり、専門家の意見を採りいれるなどして、リーズナブルなメニューの構築をするべきです。