社長に叱られたものの、納得のいかないOL青柳夏子。しかしバスの中で居合わせた男性たちの会話に、ついつい惹きこまれる。
自分なら変えられる?仕事ができる人間には共通する能力がある??どうやらドラッカーの『経営者の条件』が役に立つらしい…。働く私たちの悩みをドラッカーで解決していく、小説仕立ての入門書を無料公開。最終回。

社長が私に期待していることって、本当は何だったんだろう

 若者は押し黙ったままだ。年輩の男が続ける。

「これは『経営者の条件』という本のまえがきにある言葉なんだ。お前も時間をつくって読んでみたらいいよ。気持ちが変わるから」

「でも僕、ただのヒラ社員なんですけど。そんなの、社長が読めばいい」。逆切れモードは収まったものの、まだ少しすねているようだ。

「タイトルは『経営者』とあるけど、実際は誰でも読める本だよ。いわゆる“仕事ができる人”に共通する、5つの能力について説明してあるんだ。……知りたくないか?そんなに難しくないぞ」

 バスはまもなく札幌駅に着こうとしていた。

 ターミナルに入る信号待ちで、気の早い乗客が席を立ち始めた。夏子の後ろの礼服の男たちも立ち上がった。せわしない空気に紛れ、二人の会話は聞こえなくなった。 

 あてもなく札幌駅に降り立った夏子の心は、ざわめいていた。さきほどの若い男へのアドバイスが、まさに自分に向けられたもののように感じられた。

(私はこれまで、言われたことはちゃんとこなしてきたし、自分では、それなりに仕事ができると思っていた)

(でも、社長が私に期待していることって、本当は何だったんだろう。私、胸を張って成果を出してるって言える?)

 知らない人の会話が、こんなに気になるなんて。なんだか不思議に思いながらも、足は駅ビルの上階にある大型書店へ向かっていた。(あの本、探してみようかな……)

 あれこれ考えながら歩くうちに、北原社長の発言がまた甦ってきた。

――少しは自分のアタマで考えて行動してくれよ。

 感情的には腹が立っていても、長年仕えた敬愛するボスからの言葉であった。素直になってみると、たしかに、仕事に対して受け身だったかもしれない。

(でもやっぱり、あの言われ方は悔しいな)

 思わず、涙ぐみそうになった。

 自分なりに頑張ってきたつもりだったのに、評価されていなかった。しかもみんなの前で当てつけるように言われて、これまでの努力を全否定されたような気持ちだった。

(あんなふうに言わなくたっていいのに……もう少し評価してくれたっていいのに)

 また苦い気持ちがこみあげてきた瞬間、ふと、年輩の男の言葉が思い出された。

――さっきから人のことばっかり言っているけど、自分はどうだ?まずは自分が変わって見たらどうだ?

 書店は、にぎわっていた。

 夏子はほっとひと心地ついた。昔から夏子は書店が大好きだった。特にこういう大型書店に来ると、何時間いても飽きない。

 気ままに書棚を巡り、目についた小説や絵本を手に取り、パラパラとめくる。のんびりとお気に入りを見つける時間は、かけがえない至福のひとときだった。

 今日の夏子は、いつもと違う。これまであまり行ったことのない、ビジネス書の棚へまっすぐ向かった。

「マネジメントの父!P.F.ドラッカー コーナー」

 先ほどバスの中で聞きかじった「ドラッカー」という人物の著作群が、あっけないほど簡単に見つかった。棚の二段を使って、ずらりと何十冊も並んでいる。

 そのうちの一段の大半を、赤いハードカバーのシリーズが占めていた。「ドラッカー名著集」という言葉が背に謳われている。

 シリーズの一冊が、くるりと表紙を見せて陳列されていた。店員さんの手描きのカラフルなPOPがついている。

 すべてのビジネスマン必読!万人のための帝王学!
 セルフマネジメント本のロングセラー『経営者の条件』
 これであなたも「仕事ができる人」になろう!

 バスの中で聞いた、『経営者の条件』である。

(これだ!)夏子は思わず手に取った。

 表紙をめくったとたん、まえがきの最初の段落が、目に飛び込んでくる。

 普通のマネジメントの本は、人をマネジメントする方法について書いている。しかし本書は、成果をあげるために自らをマネジメントする方法について書いた。ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明されていない。しかし、自らをマネジメントすることは常に可能である。(p.iii)

 夏子の中を、何か突風のようなものが吹き抜けた。

 バスの中で出会った見ず知らずの紳士から、この本を書いたドラッカーから、直接語りかけられているような気がした。

 素直さは、元来、夏子の美点である。

(「自らをマネジメントすることは常に可能である」、って本当?)

(じゃあ、私も“仕事ができる人”になって、会社から評価してもらえるようになれる?)

 そう思いながらも、一方で、心配がむくむくと頭をもたげてきた。

(でも、ちょっと難しそう。せっかく買っても、読み切れないかもしれない……)

(どうしよう……)

 赤い表紙の『経営者の条件』を手に、夏子はドラッカーの棚の前に立ちつくし、大きなため息をつくのだった。

(続きは書籍をご覧ください)

吉田麻子(よしだ・あさこ)
カラーディア代表。ドラッカー研究者 佐藤等氏、ブレイントレーニングの第一人者 西田文郎氏を師と仰ぎ、ドラッカーとブレイントレーニングを色彩学に融合させる。ドラッカー読書会ファシリテーター。
函館、滋賀に拠点を持ち、北海道~九州まで、全国複数拠点で読書会やセミナーを開催している

 

ピーター F. ドラッカー(Peter F. Drucker)
没後10年を超えたにもかかわらず、世界中から注目され続ける「知の巨人」「マネジメントの父」。「もしドラ」の題材となった『マネジメント』、IT起業家のバイブルとなった『ネクスト・ソサエティ』など、その著作は生涯で50冊以上にのぼる。詳しくは、ドラッカー日本公式サイト http://drucker.diamond.co.jp/