自己アピールが控えめな日本人はもったいない!<br />グローバル企業では、個人の市場価値を<br />言語が規定するという真実<br />――コールマンジャパン社長 リチャード・ギルフォイル氏【後編】家族で過ごす週末のひととき。広い青空の下でBBQグリルを囲めば、誰もが笑顔になり、日常の会話も自然とはずむ www.coleman.co.jp

国内需要の低迷、そしてインド、中国などのアジア商圏の台頭…これから日本の企業はグローバル化を推進し、国際競争力を高めなければ世界市場での立場を失いかねない。その時にネックとなるのが、英語力の弱さ。今後の日本の企業人の行く末を、110年の歴史があるアウトドア用品の筆頭ブランド、コールマン社長のリチャード・ギルフォイル氏が読み解く。

化粧品メーカーで20~30代に世界中を回る
柔軟なフットワークが広い視野をつくった

南 ギルフォイル社長が25才でチャンスを掴んでからの、化粧品メーカー ヘレナ ルビンスタインでのキャリアを教えてください。

自己アピールが控えめな日本人はもったいない!<br />グローバル企業では、個人の市場価値を<br />言語が規定するという真実<br />――コールマンジャパン社長 リチャード・ギルフォイル氏【後編】リチャード・ギルフォイル
1948年米国生まれ。14才から18才まで日本で過ごしたほか、日本での生活は約40年。ゴンザガ大学(米国)卒業後の1971年、日本で就職。その後、化粧品メーカー ヘレナ ルビンスタインに入社し、世界各地でマーケティング責任者を歴任。1988年にジレットジャパンインコーポレイテッドに入社、1992年に同社社長に就任、2000年よりコールマンジャパン株式会社の代表取締役社長に就任。現在はアジア・パシフィック地区の社長を兼任。

ギルフォイル 一言で言えば、マーケティングの責任者として、女性を美しくする仕事でした。日本、ニューヨーク、ベネズエラ、オーストラリア、アジア太平洋地域、南アフリカまで回ることができました。14年もの間、とても充実した毎日を過ごすことができました。あちこち行った分、視野も広りましたし、自分のキャリアにもプラスになることばかりでした。

 オーストラリアに移って3年目のある日、当時34才だったのですが、ニューヨークのヘッドハンターから電話が入って「とある会社がどうしても君に日本に来てほしいと言っているのだが、行ってくれないか?」という話を聞いたのです。それは化粧品業界の競合会社でした。私の妻は日本人なのですが、その時、ちょうど妻の母親がすごく具合が悪かったこともあって、どことなく運命的な帰国をすることに決めました。

 するとまた、ちょうどよい転機が来たのです。ジレットが日本代表を探しているということだったのです。非常にいいタイミングにいいボスに巡り合ってジレットジャパンに入り、入社後4年目で社長になりました。

南 なるほど、前職と同じ美容業界だったから、という入り方ではなかったのですね。

ギルフォイル それから11年間で日本のマーケットシェアを3倍に伸ばしました。売り上げのほとんどが海外拠点だったこともあって、グローバルな企業経営をたくさん学ぶこともできました。そしてまた、今度はブラウンという会社からジレットの吸収合併の話が来たのです。しかし契約上、そうなると私は社長の職ではなくなります。なので、「私は単なるバスの乗客でいるのは嫌なんだ。自分で運転できないなら、私からバスを降ります」と伝えてジレットを去りました。