タレントの高田純次さんの本がダイヤモンド社から出版。これを聞いて意外に思った読者の方も多かったのではないでしょうか。社内でもそうでした。どうしてこの本を企画したか、担当編集の中鉢比呂也君に聞きます。

これは通さざるを得なかった
企画なんです

――この本、入社してすぐに企画を出した?

中鉢 そうでした。転職してきたのが2007年4月で、5月にはこの企画の企画書を出していましたね。

――これまでのダイヤモンド社のイメージにはない本。社内で企画を通すとき、不安はなかった?

『適当日記』(前編)<br />ダイヤモンド社らしくない本は<br />こうして生まれたダイヤモンド社のイメージを覆した『適当日記』。カバーと帯には、ある「仕掛け」が施されている。

中鉢 不安はありありでしたけど、実績のある著者でもあり、個人的にもどうしてもやりたかった。転職後初めての企画だったので、不安一杯で出しましたが、意外と好意的に受け取ってもらえて、すんなりと通りました。もっとも僕のことあまり社内で知られていないことだったんで、様子見もあったかもしれないですね。それ幸いと(笑)。

――社長の顔は浮かばなかった?

中鉢 どうでしたかね? 実はこの企画、僕が入社前から高田純次さんにはお話を持ちかけていて、書き始めてもらっていました。だから、これは通さざるを得なかった企画なんです(笑)。前の会社で高田さんには2冊、お仕事ご一緒させていただきました。

 以来、高田さんともマネージャーさんとも、いいお付き合いをさせていただいていました。

 ちょうどその頃、高田さんが還暦に。そこで、マネージャーさんと勝手に「ではこれを機に、日記を書いてもらおう」と盛り上がりました。

 だから、当時どこまで後のこと考えてもらっていたか覚えていませんが、書き始めてもらっていた→その間に転職した→転職先で企画通すしかない、ってことでしたね(笑)。

――随分、適当な仕事の進め方ですね(笑)。

中鉢 入社試験の段階で、僕がこれまで高田純次さんの本を作っていたことは、ダイヤモンド社の人は知っていたはずなんですね。ですから、その僕が採用されたってことは、高田純次さんの本を出していいんだって、好意的に解釈したんだと思います。当時の僕は。