5月上旬、筆者は北茨城から福島、宮城へと被災地を回る機会を得た。震災発生以降、毎日のようにメディア上に地名が踊る被災地もあれば、今日までほとんどマスコミに触れられることのない被災地もある。未曾有の大震災発生からおおよそ2ヵ月――。実際に降り立った現場で感じ得たのは、復興へのはるか遠い道のりとは裏腹に、力強く息づく北関東・東北地方の人々のエネルギーだった。メディアが報じ切れない「確かな復興への熱」を、現地からお伝えしよう。
(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)

震災前とほとんど変わらない姿まで復興?
仙台を訪れて実感した「災害報道の偏り」

「今年のゴールデンウィークは、冷やかし半分で被災地を見に来る人も大勢いると問題になっていますが、私はそれでもいいと思っているんです。報道されているイメージに比べ、仙台が今どれほど元気か、より大勢の人に知って欲しいですから」

 そう語るのは、仙台市に住む会社員の女性だ。確かに筆者の周辺でも、仙台を訪れた人の多くが、「震災前とほとんど変わらないので、かえって驚いた」と口々に語る。

 実際に、仙台は元気なのだ。駅舎こそすっぽりと工事用の幕で覆われ、大規模な修繕工事が行なわれていることを思わせるが、これも先の地元女性によれば「震災後も見た目には特にダメージがなかったので、むしろ私たちがびっくりしています」という。

 仙台は東北最大の都市である。街を歩けばまだまだ修繕中の建物が目に付くし、商店のいくつかには「建物の安全が確認されるまで閉店します」との痛々しい貼り紙も見られた。しかし、何よりもこの街で働き、消費し、生活する人々の熱は確実に戻ってきている。