浅田真央26歳での引退はフィギュア選手として早いか遅いか写真はイメージです

 先週、スポーツ界の話題を独占したのは、浅田真央の現役引退発表だ。

 引退を惜しむ声は日本だけでなく世界中から聞こえてきた。ファンはもちろん、メディア、ともに戦ってきた選手たちがこぞって浅田の功績を語り、今回の決断を重く受け止めていた。そのことからも彼女がいかに多くの人たちから愛された選手だったかがわかる。

 浅田が残した輝かしい実績やフィギュアスケート選手としての凄さ、人柄の良さなどは引退発表後、メディアで語り尽くされているので、ここでは触れないが、それとは別の大きな功績を挙げておきたい。人々の五輪競技の結果に対する受け止め方を変えたことだ。

浅田真央がソチ五輪で変えた
最後までやり遂げることへの評価

 五輪競技では、メダルが獲れたかどうかという結果が重視されてきた。もちろん選手たちもメダルを獲得するために努力を重ね、五輪に臨む。だから、それを成し遂げた瞬間は感動のシーンが生まれ、選手は称賛される。しかし、メダルに手が届かなかった時は、期待外れということで、それまでの頑張りが評価されることはほとんどなかった。

 そんな人々の五輪競技の見方を浅田は変えた。2014年のソチ五輪で見せた姿でだ。金メダルが期待されていた浅田だが、ショートプログラムではトリプルアクセルを含めた3回のジャンプをすべて失敗する散々な出来で、16位に沈んだ。メダルは絶望的だし、自信も失っただろう。心が折れてもおかしくない状況だ。ところが翌日のフリーでは、打って変わってすばらしい演技を見せた。ジャンプをすべて成功させるほぼ完璧な演技で142.71点という高得点を得、6位にジャンプアップした。

 ショートプログラムの後、浅田は相当落ち込んだようだ。その晩はショックでほとんど眠れなかったといわれる。フリーに臨むには最悪の状態だ。しかし、浅田は見事に立ち直った。佐藤信夫コーチや姉の舞さんの叱咤、選手仲間や友人の激励メールなどに勇気づけられ、ベストを尽くすことだけに集中した。それが、前日とは見違えるフリーの演技につながったわけだ。

 ファンは、たった1日で立ち直った姿に目を見張った。メダルのことはどうでもよくなり、すべてを出し切ろうとする浅田を心から応援し、それを成し遂げた姿に感動した。メダルは手にできなかったが、ソチ五輪のこの演技で浅田は伝説を作ったといえる。

 その後も五輪でメダルが期待されることに変わりはないが、浅田が見せた姿によって、競技を見る側にはメダルという結果だけでなく、選手のベストを尽くす姿を評価しようという傾向が生まれたように感じる。その意味で浅田がスポーツ界に残した功績は大きい。

 そんな存在だったからこそ、そして平昌五輪を1年後に控えた時期ということも重なって、彼女の引退発表は多くの人に惜しまれたわけだ。