英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週も前回に続いて「菅降ろし」についてです。日本の政治家はこんな危機的状況でも内輪もめを止めないと批判していた英語メディアは、6月2日の内閣不信任決議案をめぐる騒ぎについて、首相発言の意味を理解するのに(多くの日本人と同様に)手間取った後、「日本の政治家が復興を主導できないなら、政治家はせめて騒音を出さないでくれ」などの痛烈な罵倒を冷静に繰り出してきました。「おっしゃるとおり!」と同意しつつも、政党政治不信の果てに潜む歴史の暗い方程式を、恐れずにはいられません。(gooニュース 加藤祐子)

「メドがつくまで」の難解さ

 震災発生からこちら、多くの国会議員が個別に、あるいは有志グループを作って、被災地支援に動いているのはブログやツイッターなどで目にして、心強く思っています。以前は名前も知らなかった国会議員が被災動物のために奔走してくれているのも、ありがたいと応援しています。個々の政治家の中には良識と使命感をもって行動する人たちがいるのは、承知しています。しかしなぜそれが「政党」となるとこうなってしまうのか。組織と個人の難しい関係性をここにも見る思いです。

 内閣不信任決議案への採決が行われる前、民主党代議士会で菅直人首相が「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい。一定のメドがつくまで責任を果たさせてもらいたい」と発言した。生中継していたNHKはただちに「菅首相、退陣の意向を表明。震災・原発対応にメドの段階で」と速報を出した。日本人でも意味がよく分からなかったこの発言について、私のツイッターのタイムラインでは、日本政治に関心のある英語圏の人たちが(報道関係者もそうでない人も)「Kan resigns(菅が辞任)」というツイートを回し始めました。

「いや、そうじゃなくて」と指摘する人も複数いて、しばらくは英語ツイートの世界も「辞任するのか、しないのか、どうなんだ」とマイルドな混乱状態に。まして「いや、今すぐ辞任すると言ったわけじゃなくて」と指摘しようにも、首相がいったい何を言ったのか日本語でもよく分からないのです。そもそも「メドがつくまで」という日本語はただでさえ訳しにくい、意味の曖昧な慣用句です。わかりやすく訳そうとすると、そこに意味や解釈を与えてしまうことになりかねない。

「すぐ辞任すると言ったわけじゃないんですよ」と指摘しようにも、「メドがつくまで」をどう訳したものか迷って、私はしばらく固まっていたのですが、「at an appropriate time(適切な時に)」はどうかとアメリカ人からツイッター上で提案され、それはいいかなと。米誌『タイム』のクリスタ・マー記者は記者ブログで、「once we reach a certain stage(ある段階に達したら)」と翻訳していました。一方で、やはり「メドがつく」は英語にしにくいと思ったのか、発言の引用を示す「 」内に入れずに地の文で説明する記事も見ました。たとえば米紙『ワシントン・ポスト』は、「once that is settled(それが落ち着けば、解決されれば)」と地の文で。英紙『フィナンシャル・タイムズ(FT)』も2日付の記事では、「after more progress had been made in dealing with the March 11 disaster(3月11日の大災害への対応でもっと進歩したら)」と地の文で説明していました。

 もっとも同じFTの6日付記事では、訳語をじっくり考える時間があったからか、「"a certain prospect" of success(成功の『一定のメド』) 」と、とても上手に訳していました。そうか「一定のメド」は「a certain prospect」だな!と膝を打ったものです。

 母国語でもよく意味の分からない曖昧表現で進退を語るのは、古今東西の政治家の習いなのでしょうが、この後しばらく続いた永田町と政治報道による解釈論争めいた混乱ぶりには、「やれやれ」と首を振ることしきりです(FTのミュア・ディッキー東京支局長は、首相発言の意味不明ぶりとそれに伴う解釈論争を「デルフォイの神託のよう」と呼んでいます)。

 菅首相の発言について米紙『ニューヨーク・タイムズ』は「日本政治につきものの曖昧な言葉遣いで、辞任の意向を示唆した」と書いていました。発言がああでもないこうでもないと迷走する様子を、英語で「hemmed and hawed」と言います。いわゆる「あーうー発言」の意味です。政治家が言いにくいことについて「あー」とか「うー」とか言うのは、日本政界に限ったことではありません。

 (余談ですが、たまたまこれを書いている時に、アメリカでひとりの政治家が「僕はツイッターで下着姿の写真を見も知らぬ女の人たちに送ってました。すみません」と認めて泣いていました。民主党のアンソニー・ウィーナー下院議員という人です。私も大好きな人気コメディアン、ジョン・ステュワートの友人で、社会的弱者の権利擁護に熱心、かつ舌鋒鋭い新進気鋭の政治家と注目されていただけに、その失墜ぶりが何とも残念なのですが、その彼がここ数日「で、あの下着写真は、あれはあなたですよね?」「自分で送ったんですか?」と問われるたびに、意味不明な「あーうーおー」を繰り返していました。もっと言えば「アカウントをハッキングされたんだ」と真っ赤な嘘を。……ったく。がっかりさせられない政治家はドラマ以外にはいないのでしょうか)

 話を戻します。『ニューヨーク・タイムズ』のマーティン・ファクラー特派員は、「第二次世界大戦以来、日本にとって最悪の大惨事から日本を脱出させなくてはならない」はずの総理大臣が、「要するにレームダック」になってしまったと書いています。「日本を何年も縛り付けていた政治的膠着がさらに長引くのはおそらく確実だろう」とも。さらに、大震災の衝撃を経てついに日本は「20年にわたる経済的な、そして社会的な停滞から抜け出す方法を見つけるかもしれないと期待されたのだが、政治指導層に対する有権者の落胆は募っているようだ」と。菅首相に対する批判は高いが、それと共に内閣不信任決議案提出に至った政治駆け引きに、国民は「辟易としている」とも。

 『ワシントン・ポスト』は、ただでさえ「1年ごとにトップを交代させる日本の政治システム」、大震災をもってしても「国民の信頼をかきたてられない日本の政治システム」は、首相が辞める辞めないの「騒ぎと、それまで何日も続いたもめ事(bickering)」によって「さらに評判を落とした」と書いています。

 これはいったいどこの国のことか。いったいどこの、議会制民主主義がしっかり定着していない、党利党略や私利私欲ばかり優先する政治家だらけの国のことが書かれているのかと思いきや……自分の国のことだったりするわけです、まったく。

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