ラオスを出た後、カンボジアで活躍する何名かの起業家に出会った。カンボジアの社会起業家を支援したいという友人の紹介でのことだ。数年前に何度か訪れたカンボジアは、「虐殺と地雷」という印象のぬぐいきれない陰惨な国だったが、彼ら起業家たちとの出会いによってカンボジアという国が持つ潜在的な可能性に魅せられていった。
  そして僕は、あるNGOを支援することを決めた。代表の名はチャンタ。カンボジア難民として青年期を過ごし、いち早くカンボジアでソーシャルビジネスを立ち上げた女性だ。(チャンタの物語の詳細は本編で描かれている)

「読み書きのできない女性でも、シルク織り職人なら男性と同等に活躍できるのよ」

 チャンタは、僕にそう言った。そんな彼女の熱意に僕は惹かれていたけれど、僕がその言葉の意味を理解したのは、カンボジア全土を何度か往復してからだった。

 支援するかを決めるため、カンボジアの最北部、ストゥントゥレン州に出向いた。ラオスとの国境地帯としてわずかに知られるだけの辺境の地だ。「主要な産業は何?」と聞いたら、「密輸」じゃないか、という返事を聞いて、思わず言葉をなくした。彼女が運営するSWDC(ストゥントゥレン・ウィメンズ・ディベロップメント・センター)というNGOの本拠地は、ここにある。

エイズに冒された女性たちを看取るホスピスを立ち上げ、
さらに、読み書きの出来ない女性のために職業訓練を始めた起業家

 そこで話をする中で、チャンタの物語の背景がすこしずつ耳に入ってくる。まず、彼女はあえて、荒廃したカンボジアに戻り、エイズに冒された女性たちを看取るホスピスを立ち上げたのだ。

 それを聞いた途端、なんて、「クレイジーなんだろう」という思いが頭をよぎり、頭がぐらぐらした。いくら故郷だとはいえ、地雷が埋まり、銃器が氾濫する国に帰りたいと思うだろうか。その土地で、子どもを育て、暮らしていきたいと思うだろうか。隣人と隣人が銃を向け、戦いあった場所に戻りたいだろうか。僕ならば、そんなことなど忘れて、どこか遠くの国で暮らしたいと思うだろう。でも、彼女は逃げなかった。

 多くの女性の死を看取った後、彼女は読み書きのできない女性のためにシルク織り工房を始める。後に事業の支援を始めた後、「生産性を上げたいなら、マニュアルを作ればよいよ」と軽々しく口にし、後悔したことがある。「読み書きのできない女性がどうやってマニュアルを読むの?」と冷たくあしらわれてしまったのだ。読み書きができない、ということは、工場労働に就くことすら難しいということなのだ。

熱帯特有の色遣い<br />――カンボジアの社会起業家を支援する中でチャンタ・ヌグワン。読み書きのできない女性のために、カンボジア中を駆け回る。