前回の記事で私は、政治は一刻も早く国民の「信」を問うべきだと、主張した。

 私が言いたかったことは、この国の政治に新しい変化を起こすのは有権者しかなく、有権者は覚悟を固める局面だ、ということである。その後も政府の統治の力は弱まり、首相退陣を巡る攻防だけが政局の焦点となっている。

 あきれた話だが、被災地の知事に、「お客を待たせるのか、助けないぞ」とすごむ復興担当大臣は辞任に追い込まれ、原発の再開で首相にハシゴを外された経済産業大臣も辞意を漏らす騒ぎとなった。原発の再稼働を巡る方針で政府は腰が定まらないまま、来年には電力危機が想定される事態になっている。

胸に響いた
ある主婦からの発言

 震災復興やこの国自体の復興という、国民が直面する現実的な課題と、政局の動きの間には、目に見えるほど大きな距離が広がっている。これは統治の危機のみならず、国民が代表を選び、その代表が国民の代わりに直面する課題に取り組むという、民主主義の機能不全だと、私は考えたのである。

 こうした私の問題提起に、数多くの人が反応し、意見をいただいた。その大部分は、有権者は政治に解散を求めるべき、という私の提案に賛同し、その幾つかは言論NPOへの厳しい注文となった。胸を締め付けられるほど、共感を覚えた意見もある。

 その一部を紹介しよう。ある主婦の発言である。

 国民として、被災地と何のつながりもないひとりの主婦として今、どう行動すればいいのか、見出せずにいます。選挙があるまで、何もできないのでしょうか。プラカードを掲げて歩けばいいのでしょうか。

 前回の総選挙以来、政治の混迷も苛立つばかりで実際には、どうすることもできずにいます。次の1票を投じる機会を得るまでに、いったいどれだけの産業がダメになり、商店がつぶれていくのでしょう。10年後の市は、町は、国は、どうなるのでしょう。誰がそのビジョンを描いているのでしょう。