「忖度」は官僚にとってのプロフェッショナリズムの放棄か?

 「忖度」という言葉がメディアを賑わしている。

 辞書によれば「他人のこころをおしはかること」である。森友学園や加計学園の問題では最大権力者である「首相の意向」を官僚がおしはかり、その結果、手続きが歪められ公正さを欠くこととなったのではないかという議論が行われている。つまり官僚の「忖度」により、森友問題では国有地が十分な説明もなく破格の低価格で売却され、加計問題では、理事長が、首相の「腹心の友」であることから獣医学部新設の認可で有利な条件・環境が設定されたという疑義がかけられている。忖度問題をどう考えればいいのか。

「忖度」回避に政官関係の
見直しが必要

 民主主義社会の基礎となる「適正手続」(デュー・プロセス)の考え方は、国民が不利益を被るような場合には、法に基づく適正な手続きが行わなければならないということである。

「忖度」によって法の手続きを阻害され、行政が公正さを欠く結果になって国民が不利益を被ることが許されてはならない。民主主義社会において、政府は、政治権力者への「忖度」が国民に不利益を生まないよう監視する側でなければいけないはずで、「忖度」は官僚が行ったものだとして、責任を回避することも許されない。

 政治家の責任論はさておき、これは一方では、官僚の側の「プロフェッショナリズム」の欠如に見える。「忖度」をするという事は、官僚が自己のプロフェッショナリズムに反して行動してしまうという事である。

 ただこれは優れて「政」と「官」の関係が適切に作られているかにかかっている。