大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、朝鮮戦争特需に沸いた日本経済が、戦争終結後に直面した“危機”について取り上げる。

東西対立激化の果て、朝鮮戦争が勃発
特需により日本経済は急成長

 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏して第2次大戦は終結する。戦時経済は終了し、壊滅的な損害を受けて破局を迎えることになった。

 その後、1950年代に日本経済が復興する過程で、朝鮮戦争特需が大きな契機となったことはよく知られている。

 戦後の国際関係は東西対立によって始まった。日本は米国の国際戦略のもと、米ソ対立の前線に立たされることになった。これは米国の援助によって復興の道を歩むことを意味する。欧州大陸の西側諸国も同様だった。

 朝鮮半島は戦後、すぐに日本から独立し、新しい国家を樹立したわけではない。中国共産党とソ連の支援を受ける北側の金日成(抗日パルチザン)勢力と、米国の支援を受ける南側の李承晩勢力が、それぞれ1948年に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の成立を宣言する。

 国民党と共産党の内戦を経て、翌1949年に中華人民共和国が成立すると、東西対立は激化し、朝鮮半島の緊張は頂点に達した。

 1950年6月25日、北朝鮮軍が攻撃を始めると、宣戦布告のない3年に及ぶ朝鮮戦争が勃発する。米国は25万人以上を派兵し、大きな犠牲を出したが、参戦した中国人民解放軍も数十万人の戦死者を出したといわれる。

 戦線は一進一退を繰り返し、1953年7月27日、ついに38度線を境界にして休戦協定が成立した。

 破局を経て戦後復興に向かっていた日本経済は、この朝鮮戦争による需要増加(特需)によって急速に成長することになる。これが朝鮮特需である。