1 立場が違えば私もクレーマー
   苦情はエスカレートしがち

 私は、長年にわたって苦情対応の窓口を務めてきたが、ある時から苦情はどうしたらなくなるだろうかと考えるようになった。あまりにしつこく苦情を申し立てて現場を困らせた人も、よく話し合って理解し合えば、実はとてもいい人だったことも少なくなかったからだ。

 苦情を受けることは愉快ではないが、申し立てる人も決して苦情を伝えるのが楽しいわけではないのである。もどかしい思いをするあまりに、つい声を荒げてしまう。対応に時間がかかるにつれて苛立ちが増し、初めは「間違いを認めて、謝ってくれればいい」と思っていたのが、怒りの収めどころを失ってしまう。そんなふうに、知らないうちにエスカレートしてしまうことが多いのではないだろうか。ふと冷静になってみると、なりたくもないクレーマーになっている自分に気づく時があるかもしれない。

 このように、誰しもがクレーマーになる可能性を秘めているのだ。

悪いところが気になるのが人間

 最近「人はほめて育てる」といった方法論が目につくようになった。子どもや部下を育てるためには、頭ごなしに叱るよりも、ほめるほうが能力を伸ばしやすいといったものだ。こうした方法論が流行るのはなぜだろうか。それは、一般的に人は他人を「ほめる」のが苦手だからだ。

 たとえば店頭で何かものを買う時、注文した品がスムーズに出てくることは当たり前に感じられる。だから、強いて店員をほめたり、お礼を言うこともないだろう(ちなみに大阪ではよく「ありがとう」とお客様が口にする実態がある)。ところが、手違いがあると、つい気になってしまう。何か不利益を被らないか、注視する姿勢に転じてしまう。こうなると、重なる手違いを見逃さない。初めの手違いに対しては黙っていても、不愉快になっているのである。だから、重なった手違いに対して、声を荒げてしまう。一方、店員のほうはいきなり大きな声で文句を言われたと感じる。こちらは度重なる不注意を指摘したつもりなのに、店員にとってはいきなりのことに驚くばかりなのだ。