最近「医療の崩壊」という言葉をメディアでよく見る。特に地方では、救急医や産婦人科医をはじめとして、圧倒的な医師不足である。一方、日本では高齢化が急速に進んでいることもあり、国民の医療サービスに対する需要は増えているだろうし、切実なはずだ。

 ヨーロッパを中心とするOECD諸国の人口1000人に対する医師数がおおむね3人程度なのに対して、日本は2人程度であり、しかも、この数はフルタイムで医療に従事していない医師も含む、内容的に空洞化したもののようだ。ところが、財政再建のためには医療・社会保障への公的支出の抑制が必要であると、経済財政諮問会議などで強調されている。この状況をどう考えたらいいのだろうか。

 根本的には、医療費を単純にコストとだけ考えることへの疑問がある。医療サービスの適切な利用によって体調が改善すると、個人はより生産性を高めて働くことができるだろう。この面で、医療費は単なるコストではなくて、個人の経済価値を高める人的資本への投資でもある。政策を考えるに際しては、この点を考慮する必要がある。消費を行なうに当たっても、健康なほうがいいから、医療サービス自体の雇用創出効果のほかに(高度化する医療にあっては多くの人手が必要だ)、医療産業の景気拡大効果は小さくないはずだ。

 おおまかな直観として、日本では、医療サービスへの需要と供給を共に増やすべきであって、医療費の抑制を強調することは逆効果ではなかろうか。

 日本の医療費はGDPのざっと8%程度だが、15%を超えるアメリカは別格としても、共に10%を超えるフランス、ドイツなどと比較しても大きくない。高齢化の進行なども考えると、医療費はむしろ抑え過ぎだろう。

 ちなみに、アメリカでは民間の医療保険が中心だが、民間保険会社のメディカル・ロス(保険料に占める医療費支払いの割合)は75%程度といわれており、これは公的な健康保険と比較して遥かに小さい。つまりそのぶん多く保険料が支払われているのであり、保険会社の介在によって、医療費が大きくふくらんでいるようだ。

 一つの大きな心配は、日本の医療コストの支払い構造がアメリカ化することだ。アメリカの保険会社に限らないが、医療ニーズの拡大に逆行する、公的な医療費支出の抑制は、必然的に民間の医療保険の市場をつくり出すことになる。陰謀とまではいうまいが、世界の保険会社が、日本の医療保険を狙わないはずがない。アメリカの保険分野における、時には規制強化(日本の生命保険会社の医療保険参入を遅らせた)、時には規制緩和といった要求の執拗さを思うと、この心配は現実味を帯びる。

 では、個人の立場ではどうしたらいいのだろうか。

 将来の医療費が心配だからといって、民間の医療保険に加入するのはやめておくほうがいい。日本では、個々の保険の情報(特に付加保険料)の開示が不足しており、これ自体が消費者保護上大きな問題だが、日本の医療保険商品のメディカル・ロスは、伝聞から推測するに、50%を大きく下回る数字のようだ。つまり、保険を通じて医療費を払うことは、著しく損なのだ。また、健康保険の高額療養費制度(月数万円以上の一定額を超える医療費を還付してくれる制度)を考えると、民間の医療保険を利用する意義は乏しい。

 われわれは、医療と健康保険制度の崩壊を警戒するとともに、保険料を節約して、医療費を含む将来の支出に備えるべきだろう。