予測はせずとも見えてくるグローバル化の流れダイヤモンド社刊
2100円(税込)

「おそらくは1970年代から国民国家の基盤がゆるぎ始めた。いくつかの分野では、国民国家はすでに唯一の意味ある存在ではなくなりつつある。あらゆる政府が、一国だけではもとより、多国間協力によっても対処できない問題に直面している。それら新しい問題は、それ自身主権を有するグローバルな機関を必要とする」(ドラッカー名著集(8)『ポスト資本主義社会』)

 ポスト資本主義社会における“ポスト”とは、○○の後という意味である。したがってそれは、資本主義社会の後の社会である。

 今から15年前の1993年、すでにドラッカーは、われわれが資本主義社会から抜け出し、ポスト資本主義社会という“転換期”にあることを確認し、その様相を描写した。その一景がグローバル化の進展だった。

 ドラッカーは、もはやグローバル化は、経済と情報だけの問題ではないとした。

 第一が、地球環境問題である。人類の生息地としての大気であり、大地である。地球の肺臓ともいうべき熱帯雨林であり、海洋である。加えて、温度である。しかも一方には、途上国の産業需要の増大と、生活水準の向上が控えている。

 第二の分野が、テロの根絶である。私兵の復活と一部国家の私兵化の阻止である。たとえば、核爆弾を大都市のロッカーや郵便箱に仕掛ければ、遠隔操作で爆発させることができる。炭疽菌の入った細菌爆弾を使えば、大都市を居住不能にすることもできる。すでに9.11同時多発テロがあった。

 第三が軍備の管理、とりわけ核の不拡散である。

 じつにすべてが洞爺湖サミットで議題となったものだった。

「現在必要とされているグローバルな諸機関の構想は、いずれもいまだ提示さえされていない。創設にどのくらいの時間がかかるかも分からない。各国の政府が、そのようなグローバルな機関とその決定を受け入れるには、何らかの破局的な事態を経験しなければならないのかもしれない。しかし、今後数十年にわたって、グローバルな機関を構想し創設することが、政治の中心課題となる。すなわち、国民国家の行動を制限することが、外交内政のいずれにおいても中心課題となる」(『ポスト資本主義社会』)