仕事は本当に人のこころを健全化するのか

 東日本大震災以来ずっと言われ続けてきたことがあります。

 ただ支援物資を送るだけではなく、雇用を創出しなければならないと。

 避難生活も日がたつと、プライバシーを作るために段ボールでパーテーションを作る家族が増えました。不十分とはいえ家族だけの空間ができたのはいいのですが、そこにお父さんが1日中ゴロゴロしているとロクなことにならないということもあったようです。

 酒を飲み、ひどい場合はセクハラまがいの行為に及ぶ。奥さんはイライラし、子どもはお父さんを敬遠し始める――。仕事がないということがいかに人の気持ちを不健全にするかということがさかんに強調されました。

 たとえ十分な収入にならなくても、人は仕事をすることでこころの健全さを保つ。毎日決まった時間に「家」から出かけるだけで、家族全員がこころの安定を取り戻し、人にやさしくなれる。だから人を支えるためには仕事が大事なのだ。こころの面から見て雇用創出の必要性を訴える理由はそういうことになっているようです。

 しかし、こころの面から見れば、私は少し違ったイメージを抱いています。

 果たして「仕事をすること」と「こころが健全になること」は完全にイコールの関係なのでしょうか。お父さんが邪魔者扱いされなくなったのは、仕事をするようになったからなのでしょうか。

「亭主元気で留守がいい」

 かつてこんな言葉が流行しました。四六時中一緒にいて息が詰まった奥さんが、ただ単にそこから解放されただけということも考えられます。

 毎日定期的に外に出ることで、震災前の生活リズムを思い出し、前もこうだったという安心感が得られたことも無視できないのではないでしょうか。