開業医として活躍するかたわら、『レナードの朝』(同名映画の原作)、『妻を帽子とまちがえた男』、『火星の人類学者――脳神経科医と7人の奇妙な患者』(以上、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)、そして『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)――脳神経科医と音楽に憑かれた人々』(早川書房刊)などこれまでに10冊の著書をもつ作家、オリヴァー・サックス氏。コロンビア大学メディカルセンター神経学・精神医学教授であり、コロンビア大学の学生、教職員をアートに親しませることを目的に設けられた「コロンビア大学アーティスト」にも任命されている。2008年には大英帝国勲章を授与された。近著“The Mind's Eye”(邦訳『心の視力――脳神経科医と失われた近くの世界』早川書房)を上梓したサックスに、ニューヨークで視覚と脳の不思議についてインタビューした。
(聞き手/ジャーナリスト 大野和基)

患者の立場になってみて
より深く患者の気持ちがわかるように

視力を失うと触覚や聴覚が発達する不思議――自身も右目を失明したオリヴァー・サックス医師が語る、人間の脳の驚くべき能力オリヴァー・サックス
(Oliver Sacks)
コロンビア大学メディカルセンター神経学・精神医学教授
Photo by Kazumoto Ohno

――サックスさんご自身、がんで右の視力を失われたのですね。

 まったく視力がありません。2年前に右目が出血し、その血がクリアになったことはありません。取り除こうとしたのですが、網膜がまた出血しました。まったく役に立たない目になってしまったのです。左側から人が来るとわかりますが、右側から来るとまったく見えないので、突然右から人が出てくるとハッとします。両目が見えているときは呑気に構えていましたが、今では歩行中は特に注意しなければなりません。

――サックスさんは神経科の医師として多くの患者を診てきたわけですが、ご自分が片方の目の視覚を失ったとき、患者の立場になったわけですね。

 自分が患者になると、自分自身を他人にあずけなければなりません。つまり受け身の状態です。以前は、他人が私の手にあずけられたわけです。自分が患者になってみると、自分自身を人にあずけるには、信頼がないといけないということがよくわかりました。

 もうひとつ気づいたのは、自分がMD(medical doctor)であることは、自分の体にとっては何の関係もなくなってくる、ということです。がんはがんであり、それ以外の何ものでもないのです。たとえ自分がノーベル賞を受賞していても、がんには変わりありません。