目が不自由な人にも自由な読書を提供<br />オーディオブックを日本に根づかせる<br />オトバンク社長 上田 渉オトバンク社長 上田 渉
Photo by Toshiaki Usami

 祖父への思いが、上田渉を突き動かした。

 上田が大学に入学する直前、祖父は他界した。自分の書斎を持っていたほど読書が大好きだった祖父は生前、緑内障が原因で両目を失明する。

 もちろん読書などままならず、ソファに身を沈め、静かに野球中継に聞き入る姿が頭から離れなかった。

「目が不自由な人にも、幸せな読書を提供したい」──。

 大学在学中の2004年12月、書籍を音声化した「オーディオブック」の配信事業を展開するオトバンクを設立したのは、この原体験がきっかけだった。

 オトバンクは今、プロのナレーターがビジネス書や自己啓発書、文芸書といったベストセラーなどを朗読したコンテンツを提供するサイト「FeBe」(フィービー)を運営している。通勤中やジョギングの時間に利用するユーザーが多い。

 さらには「勉強法」としても有効だ。じつは上田には、この事業を選んだもう一つの理由がある。

 高校3年生のとき、偏差値30から東京大学を目指し、「耳で聞く」勉強法で見事合格を成し遂げたのだ。こうした自身の成功体験も、上田の原動力の一つとなっている。

80年代の苦い失敗から消極的だった出版社を
根気よく説得し続ける

 もっとも、起業した当初は苦労の連続だった。最初の壁は、音声化する前のコンテンツを保有する出版社の説得である。

「うまくいくはずがない」

 出版社側の担当者たちは軒並み、音声化事業に否定的な意見を持っていた。

 というのも、カセットウォークマンが流行した1980年代、出版社を含めた100社もの企業が「カセットブック」事業に参入、手痛い失敗を経験していたからだ。

 だが、上田は納得できなかった。出版社側は「米国のようには根づかない」と口を揃えていた。クルマで移動中に聞くことが多いからだ、と。

 これに対し上田自身の分析はこうだ。第1に、ウォークマン自体が当時はまだ重く、また電池の持ちも悪かったこと。第2に、ラインナップが名作や語学、落語に偏っており、流行している小説などは皆無だったこと。そして第3に、そもそも文庫が300円以下の時代に、価格が3000円を超えていたことだ。

 今はMP3プレーヤーの登場で持ち運びも便利だし、ラインナップは努力次第で揃えることも可能だ。また値段は独自にヒアリング調査をした結果、書籍と同じ価格以下なら買う人は多いのでは、と思ったのだ。

 予想は的中した。「コストはこちらで負担するから作らせてほしい」という上田の熱意に最後は出版社側も根負けして了承。いまや7000タイトル以上のコンテンツを提供し、FeBeの会員数も6万人を突破した。