米ゼネラル・エレクトリックとも伍して戦える会社になる──。宮永俊一・三菱重工業社長が進めてきた大改革だが、社外の評価が伴わない。大型プロジェクトで問題が相次ぎ、社内には改革の徒労感が漂っている。 全5回の短期集中連載の第2回をお届けする。(「週刊ダイヤモンド」編集部 新井美江子)
三菱重工の“組織抜本改革”に、社外の評価が伴わないのはなぜかグローバルで戦い抜けるよう、組織を抜本的に改革する──。宮永俊一・三菱重工業社長は一貫して三菱重工の大改革をけん引してきた  Photo:Yoshio Tsunoda/Aflo

「三菱重工業の懐事情が苦しくなったら、切り捨てるのか──」。ある三菱自動車社員は深いため息をつく。

 2月20日、三菱重工が三菱自株を三菱商事へ売却すると発表した。世間ではこのニュースを、三菱重工の“苦渋の選択”と受け止める向きが根強かった。

 何しろ、売却額は三菱重工の直接保有分だけで実に769億円。国産初のジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の開発費が開発遅延で5000億円に上るなど、問題プロジェクトを多数抱える三菱重工にとって、キャッシュは喉から手が出るほど欲しいはずだからだ。

 しかし、事実は少し違っていた。三菱自株の放出は、もとより決まっていたことだったからだ。2013年の時点で、「三菱重工が保有する三菱自株を三菱商事へ譲る」という“約束”が両者の間で取り交わされていたのだという。

 振り返れば、三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行という「三菱グループの御三家」による三菱自支援は、リコール隠しなどの問題が相次ぐ三菱自を、支援者だったダイムラー・クライスラーが見限った04年に始まった。

 当時、三菱重工社内には三菱自支援を嫌厭する声も上がったが、「三菱グループへの思い入れが強かった西岡喬会長(当時)の意向で優先株の引き受けに踏み切った」(三菱重工OB)のだという。