人の幸せはどうすれば実現するか

プロフェッショナルの原点
P・F・ドラッカー、ジョゼフ・A・マチャレロ著/上田惇生訳 ダイヤモンド社刊 1600円(税別)

 人の幸せが、支配する者の能力に左右されるという時代がずっと続いた。いかに好人物であろうと無能であったのでは、人民が苦労する。そこで知識ある者の第一の責務が支配する者の教育とされた。王とその後継が学ぶべきもの、それが帝王学だった。教え手は、古くはソクラテスであり、マキャベリだった。

 蒸気機関の発明に続く産業革命によって、人類社会はましなものになるはずだった。しかも、そのための万能のシステムとして、イズム(主義)なる名の体制まで提示された。ところが、産業の果実をもたらすはずだったブルジョア資本主義もマルクス社会主義もその約束を果たせなかった。両者は救世主としての座をめぐり激しく戦った。この2つのイズムのいずれにも絶望した大衆が逃げ込んだ先が、ファシズム全体主義というもう1つのイズムだった。

 500年にわたって中欧を支配したハプスブルグ家が最後にもった帝国が、オーストリア・ハンガリー帝国である。その帝国の貿易省高官の長男に生まれたドラッカーが初めて耳にした意味ある言葉が、「文明の終わり」だった。ドラッカー4歳のとき、1914年、第一次世界大戦勃発のときである。

 1000万人を殺して大戦が終わった後そこに残されたものは、その文明の崩壊した世界だった。ブルジョア資本主義、マルクス社会主義、ファシズム全体主義が相争う荒廃した世界だった。

 ドラッカーの問題意識は、産業社会すなわち組織社会は、社会的存在としての人間に自由と尊厳を与えうるかにあった。答えは、与えうるだった。

 産業革命後のイズムの争いとは関わりなく、社会は組織社会となっていた。生産活動に必要とされる生産手段の大規模化と生産知識の高度化により、あらゆる財とサービスが組織によって生み出され、あらゆる人が組織で働くことが当たり前の社会になった。したがって、ものの豊かさも、自己実現という心の豊かさも、組織の運営の仕方如何によることになった。