商機到来で再編・統合を加速する<br />米キャタピラー日本法人の急旋回米キャタピラー社の明石事業所のルーツは、新三菱重工業(現三菱重工業)の神戸造船所内にあった建設機械専門工場にある。古くは、1961年にフランス企業から技術導入して独自の改良を加えた国産初の油圧ショベルを開発・製造した工場だ。現在は、キャタピラー社が米国以外に置く唯一の研究・開発拠点として世界でその名を知られている。今後は、これまで以上に“世界のマザー工場”としての役割が増していく。

 3月29日、世界最大の建設機械メーカー米キャタピラー社の日本法人は、東日本と西日本で別々に運営していた販売会社(子会社)の社長人事を一新し、東西両社の経営を同一人物にする。この動きに先立ち、すでに3月1日に東北地域限定で展開していた有力代理店のキャタピラー東北の全株式を取得し、完全子会社化していた。

 一連の動きは、同じ3月1日に三菱重工業が発表した「キャタピラージャパンの保有株式をすべて譲渡。合弁事業を解消し、コア事業へ経営資源を集中」という方針と軌を一にする展開である。

 1963年の発足以来、49年間続いたキャタピラー社と三菱重工の折半出資による合弁事業は、2008年に三菱重工の出資比率を50%から33%に引き下げた時から、向こう5年以内に段階的にキャタピラー社が残りの株式を買い取ることが既定路線となった。それが今回少し早まったわけだが、そこにはキャタピラー社の明確な意思があったことが透けて見える。

 キャタピラー社の日本法人は、08年にキャタピラー社が主導権を握るまでは、50年近くかけて日本に根付いた建機メーカーであり、“外資”という言葉から連想されるほどには英語も必要なかった。

 だが、08年を起点にして、社内で「インテグレーション」と呼ぶ統合作業が進められることになり、それまで合弁会社特有の調整業務が多かった組織は、機能別に米国本社のタテ割りの機構に組み込まれていく。たとえば、兵庫県明石市にある油圧ショベル製造拠点のレポートラインは米国本社となり、上司が米国人に変わったことで社内の英語化が一気に進んだ。