「スペースインベーダー」が当初の酷評から伝説の名作に育つまでタイトーステーション池袋西口店に掲げられた「スペースインベーダー」のキャラクター(2018年3月撮影) Photo by Kenji Ando
「スペースインベーダー」が当初の酷評から伝説の名作に育つまで本記事はハフポスト日本版からの転載記事です

 テレビゲームの名作「スペースインベーダー」がリリースされてから、2018年で40年。

 70年代末、日本国内の100円玉が足りなくなるほどの社会現象になった。敵キャラのインベーダーは、今もタイトーのシンボルとして、日本各地の直営ゲームセンター「タイトーステーション」に燦然と輝いている。多くのシューティングゲームに影響を与えてきた原点だ。

 しかし、この伝説のゲームは発売前、社内ではほとんど期待されていなかったという。ハフポスト日本版は、開発者の西角友宏(にしかど・ともひろ)さんに、知られざる苦闘を聞いた。

上司に「イマイチだったよ」と言われて...

「西角君、あれは良くなかった。イマイチだったよ」

 1978年6月、上司から電話があった。タイトーの新製品発表会で「スペースインベーダー」が業者から不評だったというのだ。

「自信はあったのに...。『ちょっとおかしいな』とは、思いましたね」

 西角さんは、淡々と振り返った。タイトー本社の管理職クラスで『商品を売る・売らない』の決定権のある人や、ゲームセンターにゲームを納入する業者さんには、あまりウケが良くなかったという。