山手線の内側に、一度は訪問したい蕎麦屋がある。夕景に染まる頃、その店の窓から見える都電の風景の贅沢な馳走。珍味を箸に取り、招いた客と大人の薀蓄話が楽しい。蕎麦屋酒の奥の深さを知る。

外観は敷居が高く感じるかもしれないが
一度入れば何度でも行きたい店になる

 大塚駅の南口を出て、向かい側の通りに「蕎麦・馳走 岩舟」がある。駅の真向かいにもかかわらず、客にはそこが目当ての手打ち蕎麦屋だということがわからない時もある、ともすると、店の前を通り過ぎることがあるくらい、「岩舟」はその並びの店の中に溶け込むように佇んでいる。

大塚「岩舟」――珍味三昧、蕎麦三昧、蕎麦屋酒の深みに落ちる大塚南口を出て向かい側に渡るとすぐのところにある「岩舟」。カフェと見間違うモダンな造り。看板は揚げていないので見逃す客が多い。

 外観は、一面がグレートーンのモダンなカフェのような造りで、蕎麦屋かどうか迷う。もし蕎麦屋とわかっても、一見客は入りにくい。だが、そんな風に設計をしたのには亭主の狙いもあった。

 客も店も選ぶが、店も客を選んでもいいのではないか。やや、敷居を高くしてはあるが、一旦入ると後をひく店になる。そんな店を「岩舟」の亭主、毛塚雅司さんは志向したのだ。

 大塚には名だたる居酒屋がいくつかあって、飲食店の激戦区だ。そこで並び立つためには、手打ち蕎麦屋でありながら、居酒屋的な飲食店としての魅力も備えていたいと思ったという。

 2003年10月に父親の蕎麦屋を大改造して、毛塚さんは同じ場所で手打ち蕎麦屋を興した。町蕎麦の二代目の大きな冒険でもあった。

「大人が、ゆったり蕎麦屋酒を楽しめる」。毛塚さんは店の全体のコンセプトをそう決めた。店を入るとカウンターが10席と4人掛けのテーブルが2席。カウンター席の窓側4席は対面で座れるようにしてある。小体な蕎麦屋だが、いたるところに客を飽きさせない配慮がある。

大塚「岩舟」――珍味三昧、蕎麦三昧、蕎麦屋酒の深みに落ちる(写真左)店内にはカウンター10席と4人掛けのテーブル席が2つ。カウンターの4席は対面で座ることができる。間接照明を多用して、落ち着いた空間を演出している。(写真右)渡舟、蛍舟と名の付く銘酒など、亭主が吟味した蕎麦前が並ぶ。

 店内の内装は間接照明を生かし、全体の色合いは琥珀色に感じる。外観のカフェのイメージから一転、店内は和風モダンの設計だ。当時としては先鋭的な設計だが、時を経て、しっとりした蕎麦屋のいい景色に変わってきた。

 カウンター席の向かいの壁際には、亭主の吟味した日本酒や焼酎が並び、酒猪口を手に持ちたくなる。通り側の窓の外をふと見れば、珍しい都電が往来している。夕方のこの風景を蕎麦屋で一杯飲みながら味わえるのだから、贅沢な目の馳走になるだろう。