トリシェECB総裁の6月5日の記者会見はサプライズだった。7月に小幅(0.25%の模様)の利上げを行なう可能性があるという。彼は5月に「世界の中央銀行家は1970年代の過ちを繰り返してはならない」と語っていた。

 バーナンキFRB議長は6月3日、5日、9日の講演で、長期インフレ予想の上昇を強く警戒する発言を行なった。インフレ予想が自己実現してしまうリスクをFRBは心配している。また、ボルカー元FRB議長は今年4月の講演で次のように語っていた。「現在の状況と70年代初期の状況には類似点がある。われわれは懸念すべき地点にいる」。

 第一次オイルショックは1973年10月に勃発した。インフレ上昇に対して、各国の中央銀行は利上げで対処したが、景気減速によって1974年第4四半期に利下げに転じた国も多かった。フランス、イタリア、英国など中央銀行の独立性が高くなかった国では、早過ぎた金融緩和への転換がインフレを長期化させた。

 日本の1974年1~3月の卸売物価指数は+30%台、消費者物価指数は+20%台へと高騰した。しかし、1974年前半時点では、コスト・インフレを総需要抑制策で抑えるのは過ちで、引き締めを解除すべきだという議論が、民間エコノミストや政界から出ていた。

 1974年7月の参院選で自民党は予想外の敗北に見舞われる。その原因はインフレに対する国民の不満・不安にあるという解釈が一般化すると、政界・財界のあいだで総需要抑制策堅持のコンセンサスが形成された。日本銀行が利下げへ転換するのは1975年4月である。

 現在の日銀は、スタグフレーションが昂進する確率は低いと見ている模様だ。第一次オイルショック後の1974年春闘の賃上げ率はなんと33%だった。銀行貸出も大きく伸びていた。仕入価格と賃金の高騰により、当時の企業収益は悪化し、設備投資は急減速した。

 それに比べると、現在は変化が遙かにマイルドだ。賃金はほとんど伸びていない。インフレとのスパイラルが起きていない点が決定的に違う。白川方明総裁率いる日銀政策委員会は、当面は「中立姿勢」を堅持するだろう。利上げの具体的な時期のイメージを政策委員は持っていないように見える。

 仮に日銀がインフレ懸念を強調し過ぎると長期金利が急上昇し、それが経済を減速させる恐れもある。しかし、「白川総裁は、バーナンキやトリシェに比べインフレに寛容だ」と市場に誤解させてしまうのもよくない影響を残す。市場とのコミュニケーションが難しい時期に入り始めたといえる。

(東短リサーチ取締役 加藤 出)